日々是「SHINING」

雑多な趣味を整理整頓

「浅草名所七福神」巡り

明けましておめでとうございます。2019年も元気に雑多な趣味を楽しみたいと思います。
さて、新年の吉例となっている七福神巡りですが、今年は台東区と荒川区の9社寺に祀られた「浅草名所(などころ)七福神」を巡拝したいと思います。参拝順は特に決められていないので、まずは観光客で賑わう浅草寺の大黒天詣りからスタートしたいと思います。
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松の内とあって、浅草寺の本堂はいつにも増して大勢の参拝客で賑わっていますが、大黒様はお隣の影向堂にお祀りされています。案の定、影向堂にも御朱印をいただく長蛇の列ができていますが、ここが七福神巡りのスタート地点になるので、既に大黒様の御朱印が記された色紙を並ばずにいただくことができます。
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浅草寺本堂の右隣にある浅草神社には、恵比寿様がお祀りされています。浅草神社では、御朱印をいただくのに40分ほどかかってしまいました。
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浅草寺の境内を離れて、隅田川沿いを次の目的地である「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」を目指します。ここには毘沙門天が祀られており、1月中旬まで拝観することができます。因みに、聖天様(大聖歓喜天)とは、大日如来、観音菩薩の化身だそうですが、社殿に奉納されている沢山の大根は、聖天様に心の毒を清めて頂くためのものだそうです。1月7日には、風呂吹き大根と神酒が参拝者に振る舞われるそうです。
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次の「今戸神社」には福禄寿がお祀りされています。結核を患った新選組の沖田総司を診ていた松本良順が今戸神社に住んでいたことから、境内には沖田総司の終焉と地と書かれた碑が建っています。
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社殿だけでなく境内のいたるところに招き猫が飾られていますが、由緒はよく分かりませんでした。
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再び隅田川沿いの道に戻ってしばらく進むと、布袋尊を祀る「橋場不動尊」の赤い幟が見えてきます。
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良弁僧都の作と伝えられるご本尊の不動明王像は秘仏で拝観することはできませんが、鎌倉時代に造られた前立の不動明王が睨みをきかせています。
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「橋場不動尊」に程近い「石浜神社」は、神亀元年(724)の創建と伝えられる荒川区最古の神社だそうで、壽老神がお祀りされています。主祭神である天照大神と豊受大姫を祀る木造神明造りの見事な社殿は、昭和12年(1937)の造営だそうです。
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七福神巡りのトリを飾る弁財天は「吉原神社」にお祀りされています。吉原神社は、明暦の大火で焼失した吉原遊郭の移転先として千束に作られた新吉原遊郭の鎮守神で、元々この地に鎮座していた五つの稲荷社と弁財天がここに集められています。
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弁財天の本営は、吉原神社から少した離れた場所にありますが、かつてこの地に池があり、畔に弁財天の祠が建てられていました。関東大震災の火災では、逃げ場を失った多くの遊女がこの池に殺到し、450名を越える溺死者を出した悲しい歴史があります。
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吉原神社の弁財天で七福神の御朱印が一通り揃いましたが、「浅草名所七福神」巡りではさらに二社に参拝します。「鷲神社(おおとりじんじゃ)」は、おとりさまの通称で親しまれており、11月の「酉の市」の例祭は多くの参拝者で賑わいます。ここに祀られているのは寿老「人」ですが、石浜神社の寿老「神」と違いはないようです。
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さあ、結びの「矢先稲荷神社」を目指してもう一踏ん張りです。途中の合羽橋道具街通りは、正月から外国からのお客さんで賑わっていますが、通りの中ほどにある黄金の「かっぱの河太郎」は、合羽橋道具街通り90周年記念のシンボルとして平成15年に建てられたそうです。
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こちらは巨大なカブト虫のオブジェです。それにしても大きくてリアルなので目立ちますね。
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ようやく「矢先稲荷神社」に到着です。ここには、今戸神社と同じ福禄寿がお祀りされています。大火で焼失してしまいましたが、寛永19年(1649)に三代将軍徳川家光が弓矢の錬成の場として京都と同じ三十三間堂をこの地に建立し、守護神として稲荷大明神を勧請したのが矢先稲荷の名前の由来だそうです。
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今回は御朱印をいただく時間を含め3時間弱で、約7㎞の行程を歩くことができました。今年は風のない絶好の天候にも恵まれて、本当に清々しい七福神巡りになりました。
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日本100名城の旅2018総集編

2018年から始めたた「日本100名城に行こう」(日本城郭協会選定)のスタンプ収集ですが、今年は13城のスタンプをゲットしました。既に100名城の半数以上に登城していたので、もう少し早くスタンプ収集を始めていればと思うこともありましたが、結果的に良い旅ができました。ということで、今回は日本100名城の旅2018総集編です。

①会津若松城(5月4日)
2011年に行われた修復工事後の鶴ヶ城を観るのは初めてですが、屋根瓦が幕末当時の赤瓦に葺き替えられており、以前とは全く違う雰囲気になっています。白亜五層にそびえたつ天守閣に赤瓦が良く似合いますね。
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②大分府内城(7月6日)
大分府内城は、関ヶ原合の戦後に城主となった竹中重利により天守が大改修され、慶長12年(1607)には本丸、二の丸、山里丸、北の丸を備えた本格的な城郭となりました。遺構としては人質丸(二重櫓)と宗門丸(平櫓)が現存していますが、天守は寛保3年(1743)に出火で焼失して以降再建されていません。
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③松代城(8月11日)
松代城は、武田信玄が上杉謙信の侵略に備える拠点として山本勘助に命じて築城させた城で、「海津城(かいずじょう)」の名で知られています。川中島の戦いでは武田側の城として合戦の舞台となりましたが、武田氏が滅亡すると一時期上杉氏の支配下に入ります。その後徳川の世になり元和8年(1622年)に真田幸村の兄である真田信之が上田から入城すると、10代にわたり真田氏の治世が続きます。
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④上田城(8月12日)
徳川軍を2度にわたって打ち破ったことで有名な真田氏時代の上田城は、関ヶ原合戦の後に破壊されましたが、その後仙石忠政によって復興され、仙石氏時代の遺構が今に伝えられています。仙石氏時代の上田城には天守閣がありませんでしたが、合計7基の櫓が建っていたようで、現在は3基の櫓が残っています。下は、左の南櫓と右の北櫓を結ぶ東虎口櫓門です。上田は、天正11年(1583)に真田昌之が千曲川の畔に築いた上田城を中心に形成された城下町で、江戸時代には北国街道の宿場町としても栄えました。
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⑤小諸城(8月12日)
小諸城は千曲川に向かって傾斜する地形を利用して縄張りされており、城郭が城下町より低い位置にあることから「穴城」と呼ばれる珍しい城ですが、天正19年(1591)に入城した仙石秀久により近世の城郭に改修されました。明治維新後は廃城となり荒廃しますが、旧藩士が払い受けて公園として整備し、「懐古園」と命名しました。しなの鉄道の脇に建つ「三の門」には、徳川家達の筆による「懐古園」の扁額が掛けられています。現在の三の門は明和2年(1765)の再建で、重要文化財に指定されています。
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三層の天守閣は落雷により寛永3年(1626)に焼失し。その後再建されることはありませんでした。見事な天守台から往事が偲ばれます。
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⑥久保田城(8月24日)
秋田市の久保田城は、関ヶ原の戦い後に常陸水戸から出羽秋田に転封させられた佐竹義宜が、慶長8年(1603)に築城した城です。天守はなく、本丸南西の隅に建つ二階建ての御出書院が天守を代用しています。下の写真は発掘調査や絵図をもとに復元された表門です。
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⑦高松城(9月7日)
高松城は、天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正(いこまちかまさ)により、三重の濠に囲まれた堅個な城として築城されました。柿本人麿が万葉集で讃岐の国の枕言葉を「玉藻よし」と呼んだことから「玉藻城」の別名を持ち、北の丸の隅櫓として延宝4年(1676)に築かれた「月見櫓」は、重要文化財に指定されています。北側に望む瀬戸内海から濠に海水を引き込む典型的な海城の一つです。
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⑧丸亀城(9月8日)
天守閣が現存する12城の一つ「丸亀城」です。現存天守閣の中では一番小さい天守閣ですが、本丸まで連なる4段の石垣の高さは平地から60mに及びます。それにしても見る者を圧倒する見事な高石垣です。築城は高松城主の生駒親正ですが、一国一城令により一旦廃城となり、その後、讃岐国二分により入国した山崎氏が城を再築します。明暦4年(1658)には京極氏が藩主となり、廃藩置県まで京極氏の統治が続きます。
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⑨丸岡城(9月9日)
越前「丸岡城」も天守閣が現存する12城の一つです。織田信長が越前一向一揆を平定した恩賞として柴田勝家に越前の国を与え、勝家の甥である柴田勝豊が天正4年(1576)が築城したのが現在の丸岡城です。かつての城郭は五角形の濠を持ち、その周りを三の丸と外堀が囲んでいました。野面積みの石垣の上に建つ古風な天守閣は現存する12城のなかで最古のものですが、バランスの取れた勇壮な構えとなっています。
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⑩岡山城(10月5日)
本格的城郭を持つ現在の姿の岡山城は、天正元年(1573)に宇喜多秀家によって築城されました。その堅固な天守は、若くして57万石の大大名となった宇喜多秀家が天下にその威光を示すのに相応しい姿です。築城は養父である豊臣秀吉の指示により進められ、工事期間は朝鮮州出兵を挟んで8年間に及んだそうです。残念ながら天守は昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に鉄筋コンクリート造りながら外見は昔のままに再建されています。
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⑪備中松山城(10月6日)
備中松山城は、「臥牛山(がぎゅうざん)」を構成する4つの峰のうち標高430mの小松山の山頂に築かれた近世の山城で、天守現存12城の中で随一の標高を誇ります。登城するには、途中まで車で行くことができますが、自力で700mの山路を登る必要があります。
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⑫姫路城(10月7日)
現在の姫路城の連立式天守は、関ヶ原の戦い後に池田輝政が大改修を行ったもので、西の丸はその後に入城した本多忠政が増築しました。迷路のような城郭は技巧的、実践的で、何度行っても驚くことばかりです。平成大修理の前、修理中、修理完成後と今回は4回目の姫路城ですが、修理完成直後の白色に落ち着きが加わって、世界遺産に相応しい輝きを放っています。
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⑬熊本城(12月8日)
築城の名人と言われた加藤清正が元和4年(1618)に築いた名城で、本丸には大小の天守が建ち、各曲輪には宇土櫓に代表される5棟もの五階層櫓が建ち並んでいました。大天守は、2021年度の公開を目指して急ピッチで再建が進んでおり、既に足場が取り外されています。
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2016年4月14日以降に相次いで発生した熊本地震から早や2年8ヶ月が過ぎ、市内を歩く限り直接的な被害の跡は見られませんでしたが、熊本城に残る傷痕が地震の大きさを物語っています。
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熊本ひと歩き

出張翌日の休日を利用して、駆け足で熊本市内を廻ってきました。2016年4月14日以降に相次いで発生した熊本地震から早や2年8ヶ月が過ぎ、市内を歩く限り直接的な被害の跡は見られませんでしたが、熊本城に残る傷痕が地震の大きさを物語っています。熊本城の入り口にあたる馬具櫓の石垣も大きく崩れたままの状態です。
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2011年に建てられた「桜の馬場城彩苑」は、熊本の歴史と食文化を体験できるイベント施設で、軒を連ねる23の店舗には熊本のお土産が殆ど揃っています。前回、熊本に来たときにはありませんでしたので、来熊も久しぶりなんですね。
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この城彩苑の裏手から未申櫓、二の丸公園を経て加藤神社に続くルートが見学コースとして整備されており、遠巻きながら熊本城を見学することが出来ます。二の丸公園から見る大天守は、2021年度の公開を目指して急ピッチで再建が進んでおり、既に足場が取り外されています。中央に見える小天守の方は、工事のため宙に浮いたような状態のままです。左手の天守のような大櫓は、熊本城を代表する遺構の一つである宇土櫓です。
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さらに進むと戌亥櫓が見えてきますが、櫓に続く石垣は大きく崩れ落ちています。二の丸公園の片隅には、崩れ落ちた大きな石が整然と並べられています。この石を積み上げて元の石垣の姿に戻すとのことですが、素人には作業工程の想像すら出来ません。
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加藤神社の境内からは、宇土櫓を間近に見ることができます。外見は大きな被害を受けていないように見えますが、周囲の状況から想像するに相当のダメージを受けているはずです。とは言え、宇土櫓の勇姿を見ることが出来て少し安心しました。
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二の丸公園まで歩いたので、30数年振りに中尾山の「本妙寺」まで足を伸ばしてみました。本妙寺は、天正13年(1585)に加藤清正公が父の菩提寺として大阪に建立した日蓮宗の名刹で、その後清正公の肥後入国時に熊本城内に移設され、更に清正公の逝去に伴い現在の地に移設されています。
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再建されたばかりの立派な仁王門から寺院か建ち並ぶ参道を抜け、さらに「胸突雁木(むなつきがんき)」と呼ばれる石段を登ります。長い石段の中央には大小様々の石燈籠が奉納されていますが、倒れた灯籠は手付かずで放置されたままの状態です。
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胸突雁木の石田を登り詰めるとようやく清正公を祀る「浄池廟」にたどり着着きます。手前が拝殿、奥が本殿となります。拝殿前の大灯籠も倒壊したままの状態です。
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浄池廟の裏手に回ると、さらに300段の石段が続いています。この石段の先で待っているのは、槍を立てて熊本城下を見下ろす清正公の巨大な銅像です。この銅像は昭和10年(1935)の加藤清正公没325年忌の記念行事として製作されましたが、太平洋戦争末期に金属供出で一旦撤去されました。その後、昭和35年(1960)に再建され、今日に至っています。
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清正公の銅像の高度は熊本城天守と同じに設定されているそうですが、その姿は眼前に広がる熊本城下の力強い復興を見守っているようです。
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さて、もう一ヶ所、どうしても訪ねておきたかった場所があります。それは、西南戦争最大の激戦地であった田原坂の古戦場跡です。熊本の市街地からは路線バスで一時間以上かかりますが、NHKの「西郷どん」が大詰めを迎えるとあって、田原坂公園に直行する「西郷どん号」が運行されていました。田原坂の戦いの解説を聞きながら、約40分の快適なバス旅です。
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バス代と記念館の入場料、さらに1000円分のお土産クーポンが付いて2160円と格安の企画でしたが、ゆっくりと記念館を見学することができました。それにしても、同族が相討つ国内戦の悲惨さは胸を打ちます。特に、親兄弟そして旧友が敵味方に別れて戦った薩摩藩の悲劇は想像を絶するものがあります。下の写真は復元された弾痕の残る家、そしてその下の写真が田原坂です。
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公園内に設けられた西南戦争の慰霊碑には、戦死者の氏名が官軍と薩軍に別れて書かれています。手を触れる方が多いのか、西郷隆盛の名前は変色しているように見えます。
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あわただしく歩いた熊本市内でしたが、仕上げはやはり熊本ラーメンですね。昨日は老舗の桂華ラーメンを食べたので、締めのラーメンは人気店のひとつ「黒亭」にしました。正統派の豚骨スープですが、見た目よりスッキリした味わいです。生卵が入ると一段とまろやかになってとても美味しかったです。
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もう一つ忘れていけないのが、新たに熊本のシンボルに加わった、漫画「ONE PIECE」の主人公ルフィの像です。この像は、作者の尾田栄一郎氏が熊本県民栄誉賞を受賞した記念に、熊本県庁の広場に建てられたものです。常設、しかも等身大のルフィ像は世界にここだけだそうですよ。加藤清正像、くまモンに続く強力な熊本のシンボルが誕生しました。
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愛知県南知多「篠島」の旅②

バタバタで上陸した篠島でしたが、その後は温泉でゆっくりと疲れを癒し、夕食では食べ切れないほどの海の幸を堪能することができました。そして、翌朝待っていたのは東の空を染める見事な日の出でした。
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釣行で日の出は見慣れていますが、暖かな部屋から眺める朝焼けは格別です。一歩外に出ると、身も縮む冷たい風が吹きつけていましたが、弓型に広がった白い砂浜の早朝散歩は思いのほか爽快です。
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ちょっと足を伸ばして、島の裏側まで歩いてみました。西海の小島に沈む夕日は、日本の朝日・夕日100選に選ばれているそうです。因みに篠島は大小10数ヶ所の島からなり、「東海の松島」と呼ばれているそうです。
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朝食まで時間があるので、採石地跡へ続く探検コースのような小径を歩いてみると、待っていたのは十文字に穴が開けられた巨大な岩でした。
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実はこの巨石、名古屋城築城のために切り出した岩の残りだそうです。岩の切り出しにはあの築城の名人である加藤清正も来島したと言うから驚きですね。篠島には海岸線を中心に数ヶ所の採石地跡が残っています。
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さて、ちょっと早いですが10時前の船で篠島を離れ、師崎から豊川稲荷を目指すことにします。港には真鯛の大きな張り子が飾られていますが、篠島の中手島は伊勢神宮の所有だそうで、伊勢神宮に納める御幣鯛が作られています。
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師崎港から豊川稲荷へは1時間半ほどのドライブです。この豊川稲荷ですが、実は妙厳寺と称する曹洞宗の寺院で、秘仏である「トヨカワダキニシテン」というインドの女神が稲穂を担いだ姿をしていたことから、豊川稲荷の名で知られるようになっとのことです。
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つまり、豊川稲荷の稲荷とは境内の鎮守であるトヨカワダキニシテンのことで、それが日本の稲荷信仰と相まって同一視されるようになったようです。いかにも日本らしい宗教感ですね。神社ではありませんが、境内にはしっかり鳥居が建てられています。
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本殿から奥の院へと続く参道には「千本幟」と呼ばれる無数の幟が奉納されています。京都の伏見稲荷大社は鳥居の奉納で有名ですが、いすれにせよ稲荷信仰の広がりを感じさせる光景です。
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奥の院の隣にある「霊狐塚」は、もともと信者の方が祈願成就のお礼に「納めの狐」を奉納する場所だったそうですが、今では狐の数が約800体に達し、一種独特の雰囲気を醸し出しています。稲荷信仰と言えば、謎の渡来人である秦氏に結び付きますが、秦氏は八幡信仰とも強く関わっています。稲荷社と八幡社を合わせると日本の神社の過半数以上が、渡来系の神社ということになります。因みに、八幡神=秦氏の誕生に際しては、天から「八の幡」=幟が降臨したと伝えられています。
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さて、豊川稲荷の参拝を無事に終えたところで、東京に帰る前に腹ごしらえです。せっかくお稲荷さんにお参りしたので、ここはいなり寿司しを食べねばなりません。と言うことで、選んだのが総門前で約100年間店を構える「門前そば山彦」です。さすがに人気の老舗とあって、長蛇の列ができています。
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列の大半はお土産の折詰を買う人なので、店内にはスムーズに入ることができました。山彦のいなり寿司は、ニンジン、ヒジキ、椎茸、筍、クルミの五目が入った素朴なお味でした。稲荷寿司と一緒に注文したきしめんも名物だそうで、きしめんにしては細目の手打ち麺はとても滑らかな喉越しでした。
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愛知県南知多「篠島」の旅

ブログの引っ越しに手間取ってしまい、約1ヶ月ぶりの再スタートとなりましたが、気分一新、これからも週一回のゆったりペースで「雑多な趣味を整理整頓」していきたいと思います。
さて、今回は、海の幸を求めて愛知県三河湾国定公園に浮かぶ離島「篠島」に行って来ました。篠島へは、知多半島、渥美半島のどちらからも渡ることができますが、今回は、太平洋に面する渥美半島の最先端、伊良湖岬から船に乗るコースをとることにします。いつものように早朝に東京を出発。朝の9時には浜松に到着し、まずは、遠州にある臨済宗の古刹「龍潭寺」に参拝することにします。
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龍潭寺は行基が開山した臨済宗の寺で、井伊家の菩提寺としても有名です。あの、女城主「井伊直虎」もここに眠っています。
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本堂の龍虎の襖絵は江戸時代の作品ですが、なかなかの迫力です。
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龍潭寺の庭園は、江戸時代の初期に活躍した小堀遠州の代表作の一つです。小堀遠州は先日歩いた備中松山城の二代目城主ですが、茶人、作庭家、書家としても活躍した人物です。本堂裏の庭園は、心字池の回りに石を配した典型的な寺院庭園です。
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正面の築山にある大きな石が仏を表す守護石となり、池の手前には仏を拝む礼拝石が置かれています。築山の左右にある大きな石は仁王石になります。
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本堂正面の「補陀落の庭」は、浜名湖を表す枯山水の庭園です。
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初代井伊共保から24代井伊直正までの井伊家歴代の墓所です。左手の奥から2番目が井伊直虎の墓です。
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次の目的地は、龍潭寺から程近い竜ヶ山の南麓にある鍾乳洞「竜ヶ岩銅」です。地元の子供達の探検場所だった小さな洞窟の奥に、総延長1kmに及ぶ大鍾乳洞が発見されたのは1981年のことだそうです。
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鍾乳洞の内部は綺麗に整備されており、安心して探検気分を味わうことができます。2億数千年前の世界は想像以上に見応えがありました。
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さて、お楽しみのランチタイム。浜松と言えば当然「鰻」ですよね。今回は浜松市北区で三代続く老舗「清水家」のうな重をご馳走になりました。ふかふかの食感と濃いめの甘辛いタレとの相性は抜群です。これはたまりません。
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お腹が一杯になったところで、いよいよ渥美半島最先端の伊良湖を目指します。船の出船時間16:10には少々早いですが、天候も回復し青空が戻ってきたのでゆっくりドライブを楽しみたいと思います。途中で立ち寄った道の駅「あかばねロコステーション」から眺める太平洋は、目が覚めるような青の世界です。それにしても風が強い!時折、身体が持っていかれそうな突風が吹きつけます。
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予定より1時間以上早く伊良湖港に到着したので、1本前の船に間に合うかもしれません。急いで駐車場に車を停めて、チケット売り場に向かいます。それにしても車が少ないと思ったのですが、想定外の理由にビックリ!な、なんと強風で船が欠航です。しばしその場に立ちすくみましたが、気を取り直して宿に電話をすると、今からなら知多半島師崎港に回れば18時の船に間に合うとのこと。なんと篠島を目の前にして、三河湾をぐるっと100km以上走る羽目になってしまいました。後で聞いた話ですが、冬場は強風のため伊良湖からの船は欠航が多いそうです。何も考えずに景色の良い渥美半島コースを選んでしまいましたが、下調べが足りませんでした。結局、師崎港17:55の船に乗ることが出来ましたが、楽しみにしていた島の夕日は夢となってしまいました。(;´д`)トホホ。
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