日々是「SHINING」

雑多な趣味を整理整頓

会津若松日記 ①

6月と7月の初めに、会津若松に長期出張してきました。会津若松市は周囲を磐梯山や猪苗代湖などの自然に囲まていますが、中心部はコンパクトに纏まっており、仕事後の夕暮れタイムを利用しても十分に散策を楽しむことがてまきます。
会津若松駅前のホテルから、会津のシンボルである鶴ヶ城までは約2km。往復すると1時間の距離ですが、日没までにはなんとか登城出来そうです。途中にある市役所庁舎は、昭和12年(1937)に建てられた重厚な外観が特徴の洋風建築で、竣工から既に80年を迎えています。老朽化は否めませんが、歴史的建造物として今後も使用されるようです。ここまで来ると鶴ヶ城へはあと一息です。
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市役所の近くには鶴ヶ城の石垣の一部が残されています。周囲は繁華街で飲食店が続きますが、街の一部に溶け込んでいて不思議と違和感を感じません。
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繁華街を抜けると鶴ヶ城へと続く一本道です。この「北出丸大通り」の回りには高い建物が一切ないので、かつての城下町から眺める天守閣もこんな感じだったのでしょう。
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会津若松駅から歩いて約25分、ようやく鶴ヶ城の北出丸に着きました。既に18時を過ぎていますが、城内には自由に入れるようです。
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天守閣への入場はさすがに終了していましたが、平日の夕暮れとあって広い本丸跡に立っているのは私一人です。鶴ヶ城の本丸一人占めの好運に感謝しながら、夕陽を浴びる天守閣を眺めていると、江戸時代の会津藩にタイムスリップした気分になります。
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2011年に行われた修復工事後の鶴ヶ城は、屋根瓦が幕末当時の赤瓦に葺き替えられており、以前とは全く違う雰囲気になっています。白亜五層の大天守に赤瓦が良く似合います。
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本丸の南端にある茶室「麟閣(りんかく)」は、千利休が切腹したのち、当時の会津領主の蒲生氏郷(がもううじさと)によって会津に招かれた千利休の子少庵が建てたといわれています。少庵はのちに許され京都に戻り千家茶道を再興し、表千家、裏千家、武者小路千家と受け継がれることになります。
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本丸東側の土塁上は散策道になっており、木々の切れ目から望む天守も格別です。戊辰戦争で西軍の砲撃を耐えた堂々たる天守の姿は、どこまでも威厳に満ちていますね。
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鶴ヶ城が名曲「荒城の月」のモデルとは知りませんでした。昭和21年に会津若松市内で行われた講演で、土井晩翠が自らが旧制二校代に取り壊された鶴ヶ城跡を訪れて作詞のきっかけを得たと語ったとのことで、歌詞の記念碑が建てられています。
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お堀りの水面に浮かぶ西出丸の石垣です。
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会津といえば蕎麦と日本酒ははずせませんね。そば好き酒好きにとってはまさに至福の場所なのです。特に市役所回りの繁華街には美味しいお店が軒を連ねているので、お店選びが大変です(笑)。やっぱりビジネスホテルの味気ない食事とは違います。
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篆刻(てんこく)

梅雨に入り、東京でははっきりしない天候が続いています。ブログの散策ネタもすっかり底をついてしまったので、今回は数年前から高校時代の恩師を囲んでスタートした書道会で楽しんでいる「篆刻(てんこく)」の話です。篆刻とは、一言でいえば印材(主に石です)に文字を彫り込んで印鑑を作ることです。中国では篆書体という書体を刻んでいたことから篆刻と呼ばれていますが、今では篆書体以外にも楷書体・行書体・草書体・隷書(れいしょ)体など様々な書体を刻むので、印鑑を作ることを総じて「篆刻」といっているようです。
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上の写真は篆刻の七つ道具です。「五体字類」と呼ばれる文字の辞書は、楷書・行書・草書・隷書・篆書の五体を一括収録した書体字典で、書道や篆刻を楽しむ方は必ずお世話になるロングセラーです。他にも篆刻の作品集や参考書籍が沢山あるので、好みの文字や書体を探すのも楽しい作業です。文字を彫るための「印刀」は彫刻刀より刃に厚みがあり、その厚みを利用して石をざっくりと刻むことができます。専門家は石の大きさや固さ、もちろん文字によって様々な印刀を使い分けるのでしょうが、私のような素人には大小2本の印刀があれば十分です。
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印材を固定する「篆刻台」はなかなかのすぐれ物で、大小様々な印材をしっかり固定してくれます。今回は一辺が1cm弱の小さな印材を彫っていますが、この台があるお陰で安心して印刀の刃を入れることができます。因みに、文字は「翠」の一文字です。
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獅子の彫刻を施した一辺3cmの大きな印材には、「下載清風」の4文字を刻んでみました。印鑑を保護する「袴」と呼ばれる蓋も、作り方を教わりながらの手作りです。
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「下載清風」とは、本来、積荷を降ろして軽くなった船が、清風にのって軽やかに航海する様子を表していますが、それに例えて、荷物(もちろん心の荷物も含まれます)を全部降ろして飛ぶよに歩ける時の気持ちを表す禅語です。還暦を迎えた記念にこの四文字を刻んでみましたが、現実はまだまだ下載清風とはいかないようですね。
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下の印材は、一辺2㎝です。「感謝」と彫った印材も同じ大きさです。因みに、「感謝」のように文字部分を彫り込んで文字が白くなるのを「白文」、文字部分を残す彫り方を「朱文」と言います。
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久しぶりの篆刻ですが、彫り上がった文字の雰囲気が学生時代のそれと全く違うのに驚きました。練習を重ねていた訳ではないので、この違いはとても興味深いですね。さすがに最近は目の方が厳しくなってきましたが、もう少し自分の変化を楽しみたいものです。
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初夏のキス釣り

今年もシロキス釣りの季節がやって来ました。キス釣りといば、去年の炎天下での酷釣を思い出します。あのときは甲板の温度計が50度を振りきって釣りどころではありませんでした(笑)。
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今回はシーズン入り直後なので、本来は爽やかな季節のはずですが、既に30度を越す日が続いており、とても5月とは思えません。お隣に陣取った「あんちゃん」は、すっかり真夏のスタイルです。
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午前7時前に出船していざ、ポイントへ。コマセもなく仕掛けもシンプルでコンパクトなキス釣りの出船は、準備も簡単でとごかのんびりムードです。
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相模湾はすっかり夏モードです。皆さん、穏やかな海を満喫しているようですね。冬の過酷な釣りが嘘のようなのどかな海です。
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肝心の釣果の方はボチボチといったところでしょうか。本命のキスも忘れた頃に顔を見せる程度です。お隣りのあんちゃんの竿が勢いよくしなったので期待しましたが、フグがフグの図に大笑いです(失礼)。
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と、ところが、いつも騒がしい?あんちゃんが静かになったと思ったら、突如、キスの神様が舞い降りて連続ヒットの大フィバー!終わってみれば50匹に迫る大爆釣でこの日の竿頭と相成りました。今回はあんちゃんのためのブログになてしまいましたが、お見事でした。
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さて、今回はポイントによって随分とサイズに差がありましたが、ビックサイズは釣り人の特権でお刺身でいただきました。
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そして、キスと言えばやっぱり天ぷらですよね。釣りたてキスのホクホク天ぷらはまさに絶品です。
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宮城・福島の旅(③東北100名城巡り)

郡山のホテルに向かう前に、陸奥国府と鎮守府が置かれていた多賀城跡に立ち寄ることにします。多賀城は、大野東人(おおののあずまひと)によって神亀元年(724)に創建されましたが、発掘調査の結果、約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行うための行政庁があったことが明らかになっています。
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発掘調査に伴う環境整備が進んだことで、奈良の平城宮跡や福岡の太宰府跡とともに日本三大史跡に数えられるようになった多賀城跡ですが、観光地化が進んでいないため、逆に静寂の中で歴史に向き合うことができます。
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 南門跡に建つ「壺碑」と呼ばれる石碑には、多賀城が大野東人によって創建され762年に藤原朝狩によって修造されたことなどの貴重な情報が記されています。この石碑に歴史的な価値があるか否か諸説ありましたが、あらためてその価値が認められ日本三古碑の一つとして重要文化財に指定されています。
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いよいよ旅も三日目。帰りの渋滞が気になるところですが、さらに2つの100名城を攻め落としたいと思います。
福島県二本松市にある二本松城(霞ヶ城)は、応永21年(1414)に畠山満泰により築城されました。江戸時代に白河から移封された陸奥二本松藩主丹羽光重により城郭の全体が整備されましたが、幕末の動乱期、戊辰戦の激戦の一つである二本松の戦いにおいて、会津藩白虎隊と並ぶ「二本松少年隊」の悲話とともに落城します。復元された「箕輪門」の前には、故郷を守るために命を散らした「二本松少年隊」の群像が建てられています。
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箕輪門は無数の鉄砲狭間が設けられた堅固な造りで、門を通る敵を狙い撃ちできる構造となっています。運良く突破できたとしても、その先には三ノ丸へと続く坂道と石段が待ち受けています。
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二本松城と言えば桜の名所として有名ですが、箕輪門から続くアカマツの古木群は、思わず足を止めてしまうほどの見事な姿です。この石段を上りきると、二本松市の秋の風物詩である菊人形祭りの会場となる三ノ丸跡になります。
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広々とした三ノ丸跡から上を見上げると新緑の間に本丸の石垣を垣間見ることができます。ここからが城攻め本番。石段が続きますが頑張りましょう。
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本丸南面の崖の下には、「大石垣」と呼ばれる一時代前の野面積みの石垣が残っています。
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いよいよ調査復元整備事業で蘇った見事な迫力の本丸石垣が眼前に迫ってきました。石垣全体が巨大な天守台のようにも見えますが、この石垣の上が本丸跡ということになります。
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石垣の上は本丸としては狭い印象を受けますが、周囲には櫓台が3つ設置されているのが分かります。正面右奥が天守台のあった石垣で、彼方にはまだ残雪の残る安達太良山を臨むことができます。天守台横の小さな石碑は、戊辰戦争時に城内で自決した城代 丹羽和左衛門と勘定奉行 安部井又之丞の供養碑です。
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天守台からは東西に石垣が続き、その先には隅櫓台がありました。写真の奥は東櫓台の跡です。それにしても360°の大パノラマは見事の一言。汗ばんだ体に春風が爽やかです。
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二本松から約1時間のドライブで最終目的地の白河小峰城に到着です。まずは、城攻めの前に腹ごしらえということで白河駅前の福田屋というお蕎麦屋さんに入ってみました。メニューを見るとざる蕎麦と天ぷら蕎麦がセットになった「お蕎麦屋さんセット」が目を引きましたが、今回は割子蕎麦を注文。気温が上がると冷たい蕎麦が美味しいですね。
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さて、今回の東北100名城のトリを飾るのが白河小峰城です。結城親朝が興国から正平年間(1340~1369)にかけて小峰ヶ岡に城を構えたのが始まりと言われており、江戸時代の初代藩主である丹羽長重が寛永9年(1632)に4年の歳月を掛けて総石垣造りの梯郭式の平山城を完成させました。
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盛岡城、会津若松城とともに東北三名城に数えられる白河小峰城でしたが、幕末戊辰戦争の白河口の激戦で天守相当の御三階櫓をはじめとした大半の建物のを焼失してしまいました。現在の御三階櫓は平成3年(1991)に数少ない木造復元天守の一つとして復元されたものです。
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白河と言えば、鼠ヶ関(ねずみがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奥州三関の一つに数えられる白河の関が有名です。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関所ですが、福島県の白河市旗宿がその遺構とされており、国の史跡に指定されています。
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入口の杉の大樹に寄り添うクネクネしたのはなんと野生の藤の樹だそうです。
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中世j時代には、丘陵の全体が居館として使用されており、主郭は敵の侵入を防ぐために造られた土塁や空堀で囲まれていたようです。
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これにて2泊3日の宮城、福島の旅は無事に予定終了です。今回は新時代「令和」に入った直後の旅だったので、特別な御朱印を沢山いただきましたが、一番のお気に入りは塩竃神社の御朱印です。良い思い出になりました。
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宮城、福島の旅(②松島・塩竃)

宮城県の旅二日目は、日本三景の一つ松島と塩竈を歩きます。早めに仙台市内のホテルを出発しましたが、既に渋滞が始まっていたので、海岸から離れた県営駐車場に車を停め、まずは「円通院」と「瑞巌寺」を目指します。
臨済宗妙心寺派の寺院である「円通院」は、伊達政宗公の嫡孫光宗公の霊廟として、正保4年(1647)に瑞巌寺の洞水和尚が「三慧殿(さんけいでん)」を建立し開山されました。
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質素な茅葺屋根の山門を抜けると、松島湾を白砂と岩で表現した「天の庭」が広がります。白砂に浮かぶように点在するは石は、松島湾に実在する七福神の島を表しているそうです。庭は人生を表現した「地の庭」と共に構成されており、二つの庭は天水橋で結ばれています。
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三慧殿は二代仙台藩主伊達忠宗公が息子の光宗君の死を悼み正保3年(1646)に建立したもので、別名御霊屋(おたまや)とも呼ばれています。宮城県最古といわれる霊屋建築には、伊達家家臣の支倉常長(はせくらつねなが)が西洋から持ち帰ってきた文化が反映しており、国の重要文化財に指定されています。厨子の中で白馬にまたがる光宗君の像をガラス越しに見学することができます。
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円通院の本堂である「大悲亭」は光宗君の江戸納涼の亭で、正保4年(1647)に江戸から解体移築されました。大悲亭前の立派な庭園は、江戸時代の庭師、小堀遠州が手掛けたもので、「遠州の庭」と言われています。
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円通院のお隣は、松島観光の目玉の一つ瑞巌寺です。正式名称は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」で、天長5(828)年に慈覚大師円仁が開創した天台宗の延福寺が前身とされています。その後、延福寺は鎌倉幕府5代執権の北条時頼の命令により臨済宗円福寺に改称し、鎌倉・室町時代を通じて発展しますが、戦国時代になると衰退の一途をたどることになります。
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そんな円福寺の窮地を救ったのが寺社仏閣の造営にも積極的に取り組んでいた伊達政宗公でした。政宗公は円福寺の再興にも尽力し、慶長13年(1608)に寺名を瑞巌寺と改めました。震災の津波は、松島にも押し寄せましたが、複雑な湾の地形が津波を分散し瑞巌寺本殿前の参道で止まったそうです。残念ながら、参道両脇に聳え立っていた大杉の並木は塩害で伐採されましたが、松島の島々が瑞巌寺、そして円通院を救ったのです。
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無数の洞窟群は鎌倉時代から江戸時代に納骨や供養のために掘られた霊場で、松島を物語る貴重な遺構です。
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伊達政宗が慶長9(1604)年から約5年かけて造営した本堂が見えてきました。
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2009年から7年間続いた「平成の大修理」は地盤沈下による建物のゆがみなどを直すことが目的で、瓦や壁、建具の解体・修復、耐震補強工事などが行われる大がかりなものでした。本堂に入ると、直ぐに桃山文化を今に伝える豪華な「室中孔雀の間」に目を奪われます。仏間には本尊である聖観世音菩薩立像、政宗の位牌、政宗の子・忠宗の位牌などが安置されています。とにかく見所満載で時間が経つのを忘れてしまうほどです。
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本堂のお隣居に建つ白と黒のコントラストが美しい建物は、国宝に指定されている「庫裡」です。いわゆる台所である庫裡には「煙出し」の楼閣が付けられていますが、この煙出しは万が一の時には見張り台になる役割を持っていたとも言われています。台所という実用的な建物のため、本堂のような華やかさはありませんが、唐草などの彫刻が随所に施されていており、政宗公のこだわりを垣間見ることができます。
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松島観光のシンボルとも言える「五大堂」は、瑞巌寺の奥ノ院になります。元々は坂上田村麻呂が創建した毘沙門堂がその始まりだったそうですが、慈覚大師が延福寺創建の際に仏堂を建立して五大明王を祀ったことから五大堂と呼ばれるようになります。その際に田村麻呂が祀ったとされる毘沙門天は空に飛び去り、降り立った島が「毘沙門島」になるそうです。五大堂は江戸時代に入ってから瑞巌寺の管理下に入り奥ノ院となりましたが、今のお堂は瑞巌寺造営の時に建てられたものです。
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「福浦島」は松島海岸に浮かぶ緑豊かな島で、陸地とは全長252mの美しい朱塗りの「福浦橋」で繋がっています。福浦島は約250種類以上の植物が生い茂る自然の宝庫で1時間程で島内を散策することができます。木々の合間から見える松島湾の風景はどこを切り取っても絵葉書のような美しさです。
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松島を離れ、次の目的地である塩釜市の「鹽竈(しおがま)神社」に向かいます。鹽竈神社の創建は不明ですが、奈良時代に国府と鎮守府を兼ねた多賀城が築かれた頃には既に信仰を集めていたようです。今回は駐車場のある裏参道から参拝しましたが、男坂と呼ばれる表参道の石段は東北屈指のパワースポットらしいですよ。
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唐門をくぐった正面の拝殿には左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。
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正面拝殿の右側には「別宮」があり、こちらには塩土老翁神(しおつちのおじ)が鎮座しています。実はこの塩土老翁神こそが鹽竈神社の主祭神で、別院から参拝するのが正しい参拝順序でしたが、「別宮」という文字に騙されてしまいました。ここでの「別」とは特別という意味だったようです。
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鹽竈神社の境内にある「志波彦神社」は、その名の通り「志波彦大神(しわひこのおおかみ)」をお祀りしており、「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていた神社だそうです。元々は多賀城との間にある八坂神社の境内に鎮座していたそうですが、明治7年に鹽竈神社別宮に遷座され、鹽竈神社境内に社殿が造営されたとのことです。
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松島の大混雑に圧倒され、昼食も食べずに塩竃まで来てしまいましたが、境内のお茶屋さんのお団子を見て我慢できなくなりました(笑)。
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さて、この後は東北100名城巡りです。先ずは近くの多賀城跡を散策して、翌日は福島の二本松城、白河小峰城を攻め落としたいと思います

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