日々是「SHINING」

雑多な趣味を整理整頓

鎌倉2020初散策

霊水「銭洗水」が湧く鎌倉の銭洗弁財天「宇賀福神社」に参拝してきました。この神社はお金を洗うと何倍にも増えて戻ってくるというご利益がある人気の観光スポットですが、境内は鎌倉の地形の特徴である急峻な岩山に囲まれています。
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岩山を貫いたトンネルを抜けての参拝は、まるで神域にワープするような雰囲気です。
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線香の煙が漂う奥宮手前の小さな社殿が本社になります。主祀神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)というと神様です。
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洞窟内が奥宮になります。お金を洗う前に洞窟右奥の弁財天のお詣りを済ませます。
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ざるに入れたお金に3回ほど柄杓で水をかけお清めします。紙幣の場合は端の方を少し濡らす程度でも良いそうですよ。浄化したお金は仕舞い込むのではなく、「生きた」使い方をするとご利益があるそうですが、これがなかなか難しいですね。
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本社の裏手の石段を上ると、「上之水神社」から「下之水神者」へと続く石道が続きます。この両社の祀神は、境内の霊泉を守る「水波売神(みずはのめのかみ)」という水を司る神様だそうです。
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銭洗弁財天に続いて鶴岡八幡宮を目指します。いつもは小町通を歩くのですが、今回は混雑を避けて表参道から参拝することにします。
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表参道沿いにある「鳩サブレー」で有名な豊島屋本店に立ち寄ってお土産を購入。我が家はみんな「鳩サブレー」ファンなので、油断すると直ぐになくなってしまいます。
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古都鎌倉の中心に鎮座する鶴ヶ丘八幡宮は、源氏再興の旗上げを果たした源頼朝公が、治承4年(1180)に由比ヶ浜にあった八幡宮を現在の場所に遷したのがはじまりです。建久2年(1191)には、山を背に上下両宮が建つ堂々とした佇まいの社殿が整えられました。
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境内の一画にある旗上弁財天社(はたあげべんざいてんしゃ)は、寿永元年(1182)に北条政子が源氏の勝利を祈って源平池の中心に建立したと言われています。
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参道の中心に掛かる太鼓橋も、源平池が造営されたときに架けられたもので、将軍家が鶴岡八幡宮を参拝する際はここで輿を下乗したそうです。現在、太鼓橋は通行禁止となっていますが、昔は太鼓橋を渡って参拝していた記憶があります。
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海が近いこともあって、源平池に泳ぐ水鳥の多くは鴨ではなくユリカモメ。赤いくちばしが可愛らしいですね。足元では、時折リスが走り回っています。これだけ観光客多いのにすっかり人慣れしているようです。
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さて、ランチには少々遅い時間になってしまいましたが、小町通はどこも満員。結局JR鎌倉駅まで歩いて、駅前にある「イワタ珈琲」に入ることにしました。ここは昭和23年開業の鎌倉で最も古い喫茶店で、作家の川端康成や大佛次郎、さらにはジョン・レノンまで来店したことがある老舗だそうです。今回はこの店の名物である特大のホットケーキを食べましたが、他にもフルーツサンドイッチなどお勧めの逸品が多いようです。
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この派手な看板は、なんと「大仏さまの福みみ」という食パン専門店の看板です。パンが焼き上がる度に行列が出来る人気店とあって、焼き上がり時間には長蛇の列が出来ています。
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行列に惹かれて今回は、柔らかくもちもちした食感とカットすると大仏様の福耳のように見える形から名付けられた看板食パンの「大仏さまの福みみ食パン」を購入しました。「看板に偽りなし」でとても美味しい食パンでした。
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2020初詣「山手七福神」

明けましておめでとうございます。2020年も元気に雑多な趣味を楽しみたいと思います。
さて、新年吉例の七福神巡りですが、今年は港区と目黒区にまたがる「元祖(江戸最初)山手七福神」を巡拝したいと思います。なぜ元祖(江戸最初)かと言うと、ここが江戸で初めての七福神巡りであり、新宿の新しい山手七福神と区別するためのようです。参拝順は特に決められていませんが、港区側の寺院から参拝すると「無病息災・長寿祈願」のご利益があるそうなので、今回は白金台駅からスタートすることにします。
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2番出口から出て左に少し歩くと八芳園、さらに日吉坂を桜田通りまで下ると最初の目的地「最正山覚林寺」です。ここは、加藤清正が文禄・慶長の役から帰国する際に朝鮮から連れ帰って養育した後の日延上人が建立した寺院で、「白金の清正公さま」として古くから親しまれています。山門は江戸末期の遺構で、境内で最も古い建物になります。
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清正公堂と呼ばれる社殿も江戸末期の建物で、正面から拝殿・幣殿・本殿と続く権現造りとなっています。山手七福神の一番手となる毘沙門天は、山門をくぐって左手に祀られています。
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日吉坂を逆戻りして、次は布袋尊を祀る「紫雲山瑞聖寺」を目指します。八芳園の先にある参道の入口は、ビルに囲まれたて寺院の雰囲気が伝わってきません。
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ところが、参道の先に現れた本堂は、白金台の真ん中にあるとは思えない立派な建物。これにはビックリです。調べてみると瑞聖寺は京都にある黄檗宗山萬福寺の末寺で、関東黄檗派の中心的な寺院だそうです。本堂に祀られた布袋尊も立派でした。
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目黒方面を目指して更に目黒通りを歩くと、国立科学博物館附属自然教育園が見えてきます。その対面が福禄寿尊と寿老人尊をお祀りする「誠瀧山妙円寺」です。先ほどの瑞聖寺とはうって変わって個人まりとした寺院ですが、元和6年(1620)開山の由緒ある寺院です。御朱印は本堂横の妙見堂で頂きます。
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境内の紅梅が早くも花を咲かせています。ちょっと気が早い?
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ここから先は目黒区にある寺院の参拝になります。因みに、今回とは逆回りに目黒区側の寺院から港区側の寺院の順に参拝すると、「商売繁盛」の御利益があるそうです。
目黒駅先の坂行人坂の途中にあるのが「大円寺」です。行人坂は江戸市中から目黒不動尊への参詣路で、大円寺を拠点にする修験道の行者がこの坂道を往来したのが行人坂の名の由来です。大円寺は、寛永元年(1624)に出羽湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりだそうです。
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この地が江戸城の裏鬼門にあたることから、正面の本堂にお祀りされている大黒天は徳川家康公をモデルにしています。
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本堂の左側にある釈迦堂の本尊釈迦如来立像は、胎内に五臓六腑がおさめられている鎌倉時代初期の清涼寺式生身の釈迦像で、国の重要文化財に指定されています。ご開帳とあってこちらの参拝者も絶えません。
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門の左手にある五百羅漢の石像郡は、明和9年(1772)に寺より出た火で江戸市中628町に延焼したいわゆる「行人坂火事」の犠牲者供養のために造られたものと伝えられています。行人坂火事は、振袖火事、車町火事と並ぶ江戸三大火事の一つで、大火の後年号も安永と改められました。
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大円寺のお隣は「目黒雅叙園」です。正面玄関から回廊を進むと「招きの大門」と呼ばれる豪華な門があり、施設内にも池や橋があります。「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルとなった建物はまさに豪華絢爛。百段階段の他にも見処が満載です。
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目黒川を渡ってしばらく歩くと弁財天を祀る「霊雲山蟠竜寺」です。慶安元年(1648)に目黒行人坂付近に開創された称明院を、増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)に「霊雲山称明院蟠竜寺」と改名して再建したのが現在の蟠竜寺になります。
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境内には江戸城裏鬼門の鎮守として弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)が、岩窟内には石造弁財天が安置されています。
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さて、山手七福神巡りの締めは目黒不動尊で有名な「泰叡山護国院瀧泉寺」にお祀りされている恵比寿神の参拝です。さすが目黒のお不動様ですね。初詣の人波が途切れることがありません。
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目黒不動尊は、天台座主第三祖である慈覚大師円仁が開いた関東最古の不動霊場で、開創は大同3年(808)と伝えられています。
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恵比寿神は弁天池の前に鎮座しています。とっても可愛らしい恵比寿像です。
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これで山手七福神の御朱印がすべて揃いました。令和最初に頂いた七福神の御朱印色紙はなかなか賑やかで元気が出ますね。
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日本100名城の旅2019総集編

2018年にスタートした「日本100名城に行こう」(日本城郭協会選定)のスタンプ収集の旅ですが、2019年は14城のスタンプをゲットしました。

①松本城(2月11日)
松本城天守群は大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟から成りますが、南側からは大天守に複合された辰巳附櫓と赤い欄干が目を引く月見櫓を見ることができます。
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黒門を抜けて御殿跡に入ると、天守群を東側から眺めることができます。松本城の始まりは、永正元年(1504)にこの地に築城された深志城ですが、天文19年(1550)に武田信晴によって占領されす。その後、天正10年(1582)に織田に攻められて武田が退却すると、小笠原氏が入城して松本城と改名します。
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②松山城(2月27日)
松山城は、標高132mの勝山の山頂に連立式天守を配した平山城です。関ケ原の戦いの戦功により入国した加藤嘉明が、慶長7年(1602)に築城に着手し、一応の完成をみたのは寛永4年(1627)とされています。山麓から本丸にかけて行く手を阻むように築かれている石垣は、「のぼり石垣」と呼ばれています。
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本丸跡から仰ぎ見る大天守は3重3階地下一階の構造で、二重櫓とも呼ばれる小天守と渡櫓で結ばれた連立式天守となっています。創建当時の天守閣は五層だったそうですが、寛永19年(1642)に三重に改装されました。その後大天守は落雷で焼失しますが、ペリー来航の翌年の安政元年(1954)に新たな天守が落成し、現在に至っています。
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③湯築城(2月27日)
「道後公園」は、伊予の国の守護であった河野氏の居城「湯築城」の跡です。中世の城である湯築城には近世の城郭のような石垣や天守は有りませんが、16世紀になって周囲に二重の外堀と土塁が築かれました。伊予の歴史と伝統を伝える湯築城は、松山城と伴に100名城に選定されています。
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④宇和島城(2月28日)
宇和島城の前身は戦国時代末期に築かれた丸串城だそうですが、文録4年(1595)に藤堂高虎が城主となると、海に面していた当時の地形を利用した近世城郭への改修に着手しました。現在まで残る石垣や天守は、宇和島伊達家の2代藩主である伊達宗利が寛文6(1666)に再建したものです。
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伊達宗利が再建した3重3階の層塔型天守は、現存12天守の一つとして国の重要文化財に指定されています。小振りに見えますが礎石からの高さは16m近くあり、格式を重んじた堂々たる単独天守です。因みに、藤堂高虎が慶長元年(1596)に創建した当時の天守は、望楼型だったようです。
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⑤大洲城(2月28日)
肱川の畔に築かれた大洲城は、鎌倉時代末期にこの地の守護となった宇都宮氏が築いた地蔵ヶ岳城がその前身です。江戸時代に入り、宇和島城を築いた藤堂高虎によって近世城郭としての体裁が整えられました。
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大洲城の天守は明治21年(1888)に取り壊されてしまいましたが、解体を免れた4棟の櫓は国の重要文化財に指定されています。現在の4層4階の層塔型天守は、明治時代の写真や江戸時代の木組み模型などの史料に基づき平成16年(2004)に木造で復元されたものです。その様子がテレビでも取り上げられていましたが、木造での復元は苦労の連続だったようです。
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⑥今治城(3月1日)
藤堂高虎が慶長9年(1604)に創建したとされる天守は、5重5階の偉容を誇る日本初の独立式層塔型天守であったと伝えられていますが、高虎の伊勢国移封に伴い上野城に移設する目的で解体されたそうです。現在の天守は昭和55年(1980)に本丸北隅櫓跡に再建された鉄筋コンクリート5層6階の復興模擬天守ですが、層塔型ではなく望楼型天守となっています。日本初の層塔型天守を誇った今治城としては少し残念な気もしますが、展望台としては望楼型の方が好都合だったのかもしれませんね。
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⑦仙台城(5月2日)
「青葉城」の名で親しまれる仙台城は、関ヶ原の合戦後の1602年にはほぼ完成したと伝えられています。徳川家康の警戒を避けるため創建当時から天守台は設けられていませんが、標高131m、東は広瀬川に落ちる64mの断崖、南は80mの深さの竜ノ口狭谷が固める天然の要害青葉山に建つ仙台城は、まさに難攻不落の構えとなっています。本丸跡の高台に建つ仙台のシンボル伊達政宗公の騎馬像からは、仙台市やその先の太平洋まで眺めることができます。
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青葉山の地形を巧に利用した仙台城にはもともと石垣が少ないのですが、本丸北壁石垣は高さが17mもあります。平成9年から16年の修復工事では優雅な曲線を描く現在の石垣の裏側から2つの時期の古い石垣が発見されたそうです。
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⑧多賀城(5月3日)
陸奥国府と鎮守府が置かれていた多賀城は、大野東人(おおののあずまひと)によって神亀元年(724)に創建されましたが、発掘調査の結果、約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行うための行政庁があったことが明らかになっています。
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南門跡に建つ「壺碑」と呼ばれる石碑には、多賀城が大野東人によって創建され762年に藤原朝狩によって修造されたことなどの貴重な情報が記されています。この石碑に歴史的な価値があるか否か諸説ありましたが、あらためてその価値が認められ日本三古碑の一つとして重要文化財に指定されています。
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⑨二本松城(5月4日)
福島県二本松市にある二本松城(霞ヶ城)は、応永21年(1414)に畠山満泰により築城されました。江戸時代に白河から移封された陸奥二本松藩主丹羽光重により城郭の全体が整備されましたが、幕末の動乱期、戊辰戦の激戦の一つである二本松の戦いにおいて、会津藩白虎隊と並ぶ「二本松少年隊」の悲話とともに落城します。復元された「箕輪門」の前には、故郷を守るために命を散らした「二本松少年隊」の群像が建てられています。
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石垣の上は本丸としては狭い印象を受けますが、周囲には櫓台が3つ設置されているのが分かります。正面右奥が天守台のあった石垣で、彼方にはまだ残雪の残る安達太良山を臨むことができます。
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⑩白河小峰城(5月4日)
白河小峰城は、結城親朝が興国から正平年間(1340~1369)にかけて小峰ヶ岡に城を構えたのが始りと言われており、江戸時代の初代藩主である丹羽長重が寛永9年(1632)に4年の歳月を掛けて総石垣造りの梯郭式の平山城を完成させました。
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盛岡城、会津若松城とともに東北三名城に数えられる白河小峰城でしたが、幕末戊辰戦争の白河口の激戦で天守相当の御三階櫓をはじめとした大半の建物のを焼失してしまいました。現在の御三階櫓は平成3年(1991)に数少ない木造復元天守の一つとして復元されたものです。
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⑪春日山城(8月12日)
春日山城の築城時期はよく分かっていないようですが、約600年前の南北朝時代には既に存在していたようで、後に、上杉謙信公・景勝公と堀氏によって現在見られるような広大な城に整備されたと考えられています。入口では、上杉謙信公像のお出迎えを受けます。
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標高180mの本丸・天守跡には碑が建っているだけですが、ここからは日本海と上越市を一望することができます。本丸の直下には二の丸、さらにその下には三の丸が築かれていました。
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⑫箕輪城(8月13日)
箕輪城は約500年前に長野業尚によって築かれた名城で、長野業政の時代には幾度となく武田信玄の攻撃を防いだ難攻不落の城でした。現在の城跡は井伊直政在城当時のものと言われており、地形を巧みに利用した規模の大きな平山城として、昭和62年に国の指定史跡にも指定されています。
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「大堀切」 は相当の深さあり、今見てもかなりの規模です。昔は堀がもっと深く、攻め手の気力を削ぐには十分だったでしょう。
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⑬新田金山城(11月3日)
新田義貞所縁の金山城の最大の特徴は、中世の山城にもかかわらず石垣や石敷きが多用されていることです。従来、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされていたそうですが、金山城跡の発掘調査でこの定説が見事に覆されました。2本の堀切を越えると物見台下の虎口が見えてきます。物見台の手前にも堀切があって、堀切に架かる土橋を渡って虎口に攻め込もうとすると、狙い打ちされる構造になっています。
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金山城の最大の見所である大手虎口の石垣と石敷きです。発掘調査に基づいて1995年から復元作業が進み、排水施設に至るまでもきちんと復元されています。それにしても見事な構造ですね。長い年月を掛けた整備工事に脱帽です。
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⑭足利氏宅跡(11月3日)
足利市の中心にある足利氏館は平安時代末期に足利尊氏の先祖である足利義兼によって築かれたそうで、南側に架かる太鼓橋を渡り仁王門をくぐると、正面に足利氏の氏寺である鑁阿寺(ばんなじ)の本堂が見えてきます。仁王門は足利幕府13代将軍の足利義輝により再建されたもので、八脚の楼門となっています。
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館跡は、周囲を水堀と土塁で囲まれ四方に門が構えられた中世地方武士館の典型である「方形居館」の形状となっています。
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2019紅葉(平林寺)

今年は休日のたびに雨模様の天候が続き、紅葉を楽しむ機会がないまま都心でも紅葉狩りの便りを聞く季節になってしまいました。毎年、紅葉狩りの締めくくりとして訪れている埼玉県新座市の「金鳳山平林寺」は、永和元年(1375)に現在のさいたま市岩槻区に創建されたのが始まりの臨済宗の禅寺です。風格ある総門には、金色に輝く「金鳳山」の扁額が掲げられています。
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平林寺の建造物を取り囲むように広がる平林寺境内林は、武蔵野の面影を色濃く残す雑木林として国指定天然記念物に指定されています。その広さは東京ドーム9個分の約43haにも及び、この季節になると見事に色付いた紅葉が見るものを魅了します。
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岩槻にあった平林寺は、川越藩主松平信綱によって寛文3年(1663)に現在の野火止(のびとめ)に移転されます。また、徳川幕府初期から幕政に貢献した大河内松平家は信綱が興した家で、平林寺は大河内松平家の菩提寺となっています。
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正式参拝の時に使われる本堂から大河内松平家廟所に続く参道の両脇には、燈籠がずらりと並んでいます。
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雑木林に植生するイロハモミジ、クヌギ、コナラなどが赤や黄色に色付き、何ともいないコントラストの美しさを醸し出しています。鮮やかな色彩空間に漂う修行道場の凜とした空気は、極楽浄土の景色かもしれません。
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紅葉(もみじ)と言えば、イロハモミジなど、なんとなく「紅葉」を連想しますが、見事に「黄葉」する樹もあるんですね。木々の葉が美しく色付くには、夜間の急激な冷え込み、大気の乾燥、強い日光の3つの条件が揃う必要があるそうですが、段々と季節感が崩れている昨今、いつまでも日本の四季が残って欲しいものです。
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それにしても、青空に映える「紅葉」と「黄葉」は見事なまでに綺麗ですね。令和元年もいよいよ大詰めです。
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足利氏館(100名城)~雷電神社

新田義貞の金山城のお隣は、足利尊氏の故郷足利市です。市の中心にある足利氏館は平安時代末期に足利尊氏の先祖である足利義兼によって築かれたそうで、南側に架かる太鼓橋を渡り仁王門をくぐると、正面に足利氏の氏寺である鑁阿寺(ばんなじ)の本堂が見えてきます。仁王門は足利幕府13代将軍の足利義輝により再建されたもので、八脚の楼門となっています。
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足利館跡は、周囲を水堀と土塁で囲まれ四方に門が構えられた中世地方武士館の典型である「方形居館」の形状となっています。
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鑁阿寺の始まりは、建久7年(1196)に足利義兼が館内に持仏堂を建て、大日如来を本尊に祀ったことに由来します。その後、鑁阿寺は足利氏の氏寺として整備され、国宝に指定されている本堂は義兼の子である義氏によって建立されました。足利氏館跡は国の史跡に指定されると共に、日本100名城にも指定されています。
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境内にある樹齢550年の大銀杏は足利義兼のお手植えとも言われており、高さは30m近くあるそうです。大樹に成長した後は、境内を火災から守る避雷針の役割を果たしてきました。大銀杏の横に建つ多宝塔は、日本で一番大きな多宝塔だそうです。
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足利氏館のすぐ側にある足利学校は、日本最古の学校として知られる国の指定史跡です。足利義兼創建とも言われていますが、創建時期は諸説あるようで今も特定できていないようです。現在の建物は江戸時代の頃の姿を復原したものですが、足利学校の周囲も堀と土塁で囲まれています。
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さて、群馬県内には幾つかの「雷電神社」が存在しますが、板倉町にある雷電神社は、関東一円、特に利根川中上流域に点在する「雷電神社」「雷電社」の事実上の総本宮で、創建は聖徳太子によるとも言われています。
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社殿、奥宮、末社八幡宮稲荷神社からなり、社殿と奥宮は群馬県の重要文化財に、末社八幡宮稲荷神社は国の重要文化財に指定されているそうです。
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賽銭箱の左隣に赤い雷電様が書かれた箱が置かれています。よく見ると口が空いており、所定の紙にお願い事を書いてお賽銭と一緒に口の中へ入れると願いを叶えてくれるそうです。雷電様というよりは赤鬼のように見えますが・・・
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社殿の裏側に回ると、立派な彫刻が目を引きます。この彫物は、有名な左甚五郎の親方であった石原常八(いしはらつねはち)という方の作品だそうです。
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そして、この狛犬?です。カツラのような髪型、大きな口、クリクリの瞳、つぶれた鼻。おじさんのようなおばさんのようユニークな面構に思わず口元が緩みます。
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道路を隔てた社務所には、撫でると地震を除け、元気回復、視力改善、自信が湧き出るなどのご利益があると云われ親しまれている「なまずさま」がお祀りされています。
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この板倉と言う土地では、昔からなまずを代表とした川魚が大切な食資源でした。「なまずさま」も神様からの贈り物として大切にされてきたのですね。今回は時間がありませんでしたが、名物のなまずの天ぷら、次回は是非とも食してみたいと思います。
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