日々是「SHINING」

雑多な趣味を整理整頓

ご近所散策(仙川駅周辺)

2月に入り少しずつ春の気配を感じるようになって来ました。緊急宣言の解除が見送られ相変わらず活動の制限が続いていますが、今回は蜜を避けてご近所を散歩してきました。京王線仙川駅に隣接するお洒落な建物は、キュピーマヨネーズが工場の跡地に建てた「仙川キユーポート」という研究施設とオフィスの複合施設です。
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守衛室が卵を模っているの分かりましたが、建物のひし形がキュピーマヨネーズの袋の模様をイメージしているのには気付きませんでした。かつて工場は小学生の社会科見学のコースとなっており、私も大量の卵がマヨネーズに変身する工程に感動したのを覚えています。
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お隣は京王線の仙川駅になります。この辺りもすっかり整備され昔とは見違えるようです。
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「仙川キユーポート」の北側は国道20号線(甲州街道)に面しており、入口にはキューピー人形の大きな時計台が建っています。
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さて、「仙川キユーポート」から住宅地を10分ほど歩くと、武者小路実篤が90歳で亡くなるまでの20年間を過ごした「仙川の家」と呼ばれる邸宅が「実篤公園」として公開されています。
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武者小路実篤は文学者としてはもちろん、野菜や花などの絵に言葉を添えた味わいのある作品を残した芸術家としても多くの人に親しまれています。
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そんな実篤が晩年を過ごした広大な敷地は樹々に覆われ、四季折々の野花を楽しむことができます。公園内には湧水を水源とした大小の池もあり、今に至るまでしっかりと武蔵野の面影を留めています。
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「仙川の家」は、愛蔵の美術品や資料とともにご遺族から調布市に寄贈されました。邸宅と広大な庭園は「実篤公園」として整備され、美術品と資料はお隣の記念館に展示されています。
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家の南側に回ると仕事部屋を覗くことができます。日当たりの良いこの部屋で原稿を書き、独特の画風で親しまれたカボチャやジャガイモの画を描いていたのですね。夫人と一緒に最高の環境の中で晩年を過ごすことができたのは羨ましい限りです。
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仙川駅まで戻ってランチタイムです。目指したのは本格的な中華料理店として雑誌にも紹介された「福寿」です。人気店なので混雑が心配でしたが、時間をずらしたのでゆったりと座ることができました。コロナ対策も万全のようなので安心です。悩みましたが、今回は海老そばとあんかけ焼きそばを注文しました。うん、これは美味しい。この味に納得です。
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ご近所散策の機会が増えて街の小さな変化に驚くことがありますが、高架工事が進む京王線沿線の再開発は周囲に劇的な変化をもたらすと思います。幸いにもご近所には自然が多く残り四季折々の季節感を味わうことができるので、この自然とうまく調和した街づくりに期待したいと思います。
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「成子天神社」

東京では年末から新型コロナウイルスの感染者が増加し、2021年は緊急事態宣言下でのスタートとなってしまいました。新年恒例の初詣や七福神巡りも控えていましたが、年が明けて2週間、ようやく所用で出かけた西新宿にある「成子天神社」に参拝することができました。ビルが建ち並ぶ青梅街道沿いにある「成子天神社」ですが、その創建は古く平安時代前期の延喜3年(703)に遡ります。
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ビルの谷間の参道を進むと立派な隋神門が見えてきます。平成29年に竣工したまだ新しい建物だそうですが、丹土(につち)色と呼ばれる暗みのある独特の赤色が周りに負けない存在感を醸し出しています。
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隋神門の風神・雷神も色鮮やかですね。台座を含めると高さ2.7mの大作です。
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いよいよ拝殿です。高層マンションと並ぶ姿は一種異様な風景ではありますが、これも常に開発の波が押し寄せる都会では致し方ないことかもしれません。むしろ、由緒あるこの地で近代的なビルと共存していることは素晴らしいことにも思えます。
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菅原道真公をお祀りする天満宮とあって、お馴染みの「撫で牛」もしっかり鎮座しています。
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丹土色に施された彩色の映えること。周囲と同じコンクリート造りですが、華やかさは別格です。
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さて、成子天神社の境内には「七福神」が祀られています。新年の「七福神巡り」をあきらめていたので、境内を散策すれば自動的に七福神巡りができるのは本当にありがたいことです。あれ?写真が一枚足りません。どうやら布袋様の写真を撮り忘れたようです(笑)。
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社殿の横をさらに進むと、こんどは「成子富士」と呼ばれる富士塚が現れます。何度も書きますがここは新宿の高層マンションの谷間。いやはや驚かされます。
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小さく見えますが高さは12mあり、頂上まで登るとそれなりの満足感があります。この富士塚は1920(大正9)年に境内にあった天神山を改造したもので、築造には富士山の溶岩が使われています。
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富士塚の麓には浅間神社が鎮座しています。石像は富士山の神様である木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)です。富作物育成、子宝・安産・縁結びのご利益があるといわれる木花咲耶姫命はあの海幸彦、山幸彦のお母さんです。
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思いがけず実現した初詣と七福神巡りに感謝して、「新年蕎麦」を食べて帰りました。一日も早く日常が戻りますように!
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日本100名城の旅2020総集編

「日本の100名城」を歩く旅も2020年で3年目を迎えましたが、新型コロナウイルス感染症の拡大で幕を明けた今年は旅行もままならない自粛ムードの年になってしまいました。そんなの息の詰まるような1年ではありましたが、2月の水戸城を皮切りに比較的近場にある100名城を中心にどうにか11の城を攻略することができました。

①水戸城(2月24日)
弘道館正門の対面に3年の歳月を掛けて「水戸城」の正門にあたる大手門が復元されています。周辺の道路工事を含め約6億円の総工費を費やしたそうですが、同じ徳川御三家の居城である名古屋城、和歌山城と比べると遺構の少ない水戸城にとっては、弘道館と並ぶ貴重な観光資源になるかもしれません。
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偕楽園から水戸徳川家の居城である水戸城の跡地へは、歩いて30分ほど掛かります。天守代わりの三階物見櫓は既に焼失していますが、二の丸・三の丸一帯と土塁・空堀が整備保存されています。
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②小田原城城(3月20日)
北条氏の居城として知られる小田原城は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となった城として知られています。多くの遺構が復元された城郭は「小田原城址公園」として整備されていますが、天守閣が再建されている城域は江戸時代のもので、北条氏が城主だった戦国時代は少し離れた場所を「小田原城」としていたようです。馬屋曲輪から橋を渡っ銅門(あかがねもん)に進みます。ここは二の丸の正門で、馬出門と同様に渡櫓門、内仕切門と土塀で周囲を囲む枡形門の構造となっています。
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天守閣は、3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式で、江戸時代の雛型や宝永年間に改修された際に作られた図面を基に復元されました。地上38.7m、鉄筋コンクリート造の堂々たる天守閣です。
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③山中城(3月21日)
伊豆半島のちょうど首根っこに位置する山中城は、小田原城の支城として北条氏康によって築城された山城です。この城は天正18年(1590)の小田原征伐で豊臣秀次率いる約7万の軍勢に攻撃され、半日で落城した歴史を持っています。100名城巡りを始めるまで存在に気付かずにいましたが、実際に現地に来てみると、東西500メートル、南北1,000メートルに及ぶその規模と、急峻な斜面を巧みに利用して造られた後北条氏時代の「障子堀」や「畝堀」と呼ばれる堀が見事に保存されているのに驚きました。
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山中城の最大の見所である「障子堀」や「畝堀」は、防御機能を強化するために堀の中に幾つもの土手を築いて区画した後北条氏の城にみられる独特の堀で、上から見た様子が障子や田畑の畝のように見えることがその名前の由来となっているようです。昨年の台風19号の影響で一部崩れた場所がありますが、全体に芝生を張ることで見事に保存されています。
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④二条城(9月20日)
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものですが、江戸幕府の終焉となる15代将軍徳川慶喜による大政奉還もこの城が舞台でした。正に江戸の歴史そのものが二条城と言えます。
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久しぶりに入る二の丸御殿ですが、室内の密を避けるための入城制限がかえって外の混雑を招いているようです。
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⑤江戸城(10月3日)
北拮橋門を入ると石垣の高さが13.8mの大きな天守台が見えてきます。江戸城の天守閣は家康が慶長12年(1607)に築いた「慶長度天守」、二代将軍秀忠が築いた「元和度天守」、三代将軍家光が築いた「寛永度天守」と三度建て替えられますが、寛永15年(1638)家光が築いた天守閣は石垣の上から最上層の上端まで44.8mもあったと言われています。この大天守閣も残念ながら明暦3年(1657)の「明暦の大火」で焼失してしまいます。
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宮内庁は2017年10月から約2年の歳月をかけて資料が多く確かな時代考証が可能な「寛永度天守」の模型を作成しました。模型とは言え天守と石垣を合わせる高さ約2メートルに及ぶなかなか見応えのある大きさです。現在、江戸城天守閣の再建計画があるようですが、実現するかどうかは今後の盛り上がり次第のようです。個人的には大賛成ですが、延期となった東京オリンピックの開催も危ぶまれる中、明暦時代と同じように財政難が心配です。
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⑥武田氏館(11月11日)
武田信虎によって築かれた武田氏の居館である「躑躅ヶ崎館」は、武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代が60年あまり本拠地として使用した館で、「武田城」とも呼ばれています。館跡は信玄公を祀る武田神社となっています。
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館全体は、東曲輪・中曲輪からなる主郭部、西曲輪、味噌曲輪、御隠居曲輪、梅翁曲輪から構成されていますが、曲輪と曲輪の間には内濠が巡らされ、曲輪は土塁と石垣で囲まれています。竹田城と呼ばれるだけあって、外濠、内濠、空濠に囲まれた三重構造の防御はかなりのものです。
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⑦甲府城(11月1日)
武田氏滅亡後、信長の領国となった甲斐国でしたが、本能寺の変後は徳川家康の支配経て豊臣秀吉が治めることになります。秀吉は甥の羽柴秀勝に築城を命じ、浅野長政・幸長父子によって甲府城が完成しましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い以降は再び徳川家の城となり、幕末まで存続します。
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南北に22m、東西に16mの規模を誇る甲府城の天守台は江戸城・名古屋城・会津若山城につぐ巨大なもので、この天守台に聳える天守閣を想像すると相当の迫力を感じます。天守台からは今でも甲府の城下町や遠く富士山を望むことができます。
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⑧大阪城(11月20日)
天守閣は展望台と歴史博物館を兼ねた施設として公開されており、最上階からは紅葉した公園の木々が一望できます。天気が良ければ、今でも生駒山から大阪湾、大阪平野を見渡すことができるそうなので、当時はどこからでも天守閣が見えたことでしょう。因みに、現在の天守閣は大坂夏の陣で焼失した秀吉時代の天守閣を、昭和6年(1931)に大阪市民の寄付金によって復興したものだそうです。極楽橋の先に聳える天守閣と石垣の眺望は、公園内でも屈指の写真スポットかもしれません。
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本丸東の内堀に沿って大阪城公園駅を目指します。本丸東面の壮大な石垣は見る者を圧倒しますが、それもそのはず、一番高いところは32mという日本一の高さを誇ります。
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⑨八王子城(11月21日)
豊臣秀吉のシンボル大阪城を散策した翌日、秀吉の関東制圧によって落城した「八王子城」跡を歩いてきました。八王子城は小田原に本拠を置いた北条氏所縁の城で、三代目の北条氏康の三男、北条氏照が築いた城です。城山川沿いの古道を進むと御主殿に入るために城山川に架けられた「曳橋(ひきばし)」が現れます。今の曳橋は立派ですが、戦国時代の橋は簡単な木造橋で、橋を落として敵の侵入を防いだようです。
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北条氏照の館があった御主殿跡はほぼ当時の姿で残されているそうで、建物の礎石や水路の跡が多く出土しています。遠くに見える冠木門からもその広さが分かると思います。
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⑩川越城(11月22日)
川越城は長禄元年(1457)に太田道真、道灌父子により築かれました。天文6年(1537)、北条氏に攻め落とされ北武蔵野支配の拠点になりますが、天文18年(1590)には豊臣秀吉の関東攻略で前田利家に降伏します。
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徳川家康が江戸城に入ると川越城には幕府の有力大名が入城しますが、寛永16年(1639)に城主となった松平信綱によって本丸・二ノ丸・三ノ丸・追手曲輪・新曲輪、さらに3つの櫓、13の門からなる総面積約32万6千㎡の規模を誇る巨大な城郭となります。幕末の嘉永元年(1848)に再建された本丸御殿は、城主の政務部屋、家臣の常駐部屋などを備えた建物の数が16に及ぶ広大な建物でしたが、明治時代に役目を終えると多くの建物は移築・解体されます。
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⑪鉢形城(11月22日)
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁に築かれた中世の名城です。築城されたのは文明8年(1476)。その後、小田原北条氏の北関東支配の拠点として重要な役割を果たし、豊臣秀吉の小田原攻めの際はこの城も重用な支城となります。二の曲輪・三の曲輪・笹曲輪の一帯は平成9年度から13年度にかけて発掘調査が行われ、馬出や堀・土塁の復元が進められました。
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三の曲輪では戦国時代の築城技術を今に伝える石積み土塁や四脚門、池、更には生活感のある排水溝まで復元されており、中世時代にタイムスリップしたような気分にさせてくれます。、
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「川越城」「鉢形城」散策

八王子城に続いて今回も小田原北条氏に所縁の「鉢形城」跡を目指しますが、その前に100名城の「川越城」に立ち寄りたいと思います。川越城は長禄元年(1457)に太田道真、道灌父子により築かれました。天文6年(1537)、北条氏に攻め落とされ北武蔵野支配の拠点になりますが、天文18年(1590)には豊臣秀吉の関東攻略で前田利家に降伏します。
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徳川家康が江戸城に入ると川越城には幕府の有力大名が入城しますが、寛永16年(1639)に城主となった松平信綱によって本丸・二ノ丸・三ノ丸・追手曲輪・新曲輪、さらに3つの櫓、13の門からなる総面積約32万6千㎡の規模を誇る巨大な城郭となります。
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川越城には鷹狩りなどでたびたび将軍の御成りがあったことから、本丸御殿は将軍のための「御成御殿」でした。
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幕末の嘉永元年(1848)に再建された本丸御殿は、城主の政務部屋、家臣の常駐部屋などを備えた建物の数が16に及ぶ広大な建物でしたが、明治時代に役目を終えると多くの建物は移築・解体されます。
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本丸御殿の玄関と大広間は廃藩置県により川越に県庁が置かれると、庁舎として利用されることになります。その後、様々な施設として利用されますが、昭和42年(1967)に修理工事を行い、東日本で唯一、本丸御殿の遺構が残る施設として一般公開されます。
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「中ノ門堀跡」は旧城内に残る唯一の堀跡です。本丸御殿から少し離れた住宅地の中にあるので見落としてしまいそうですが、堀跡には遺構保護のために盛り土が施され、深さ7m、幅18m、本丸御殿側の勾配60度の壁のような堀が復元保存されています。入り口には冠木門が建っています。
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川越城本丸跡から一般道を北上すること1時間弱、本日二つ目の100名城、埼玉県寄居町にある「鉢形城」跡に到着しました。コロナ禍で5月から計画倒れが続いた2020年でしたが、近場の城攻めでどうにか年内10城の最低ノルマは達成できました。
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鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁に築かれた中世の名城です。築城されたのは文明8年(1476)。その後、小田原北条氏の北関東支配の拠点として重要な役割を果たし、豊臣秀吉の小田原攻めの際はこの城も重用な支城となります。
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広大な鉢形城跡は「鉢形公園」として整備されており、地形に沿って築かれた土塁や曲輪跡を散策しながら、カタクリの群生地や野山に自生する花木を楽しむことができます。
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荒川の支流である深沢川はまさに天然の堀で、荒川と深沢川に挟まれたこの地は築城に最適な天然の要害そのものです。
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城跡内には寄居町の天然記念物に指定されているサクラの一種「エドヒガン」の古木が優雅な姿を見せています。このエドヒガンは、伐採された2本の幹の株元から12本の芽が成長した珍しい樹で、樹齢は約150年。高さは18m、枝張りは東西23.5m南北21.8m、根回りは6.5mほどもある巨木です。
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城郭を形どる堀や土塁がきちんと整備保存されているので、本曲輪や二の曲輪などの立体空間もしっかり確認することができます。
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搦手から本丸、二ノ丸、三ノ丸と諏訪曲輪には塹壕がともなっています。また、城郭の北西側にあたる荒川沿岸は断崖に面していて、一番高い本丸跡から下を覗くと、かなりの高さがあります。
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二の曲輪・三の曲輪・笹曲輪の一帯は平成9年度から13年度にかけて発掘調査が行われ、馬出や堀・土塁の復元が進められました。
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三の曲輪では戦国時代の築城技術を今に伝える石積み土塁や四脚門、池、更には生活感のある排水溝まで復元されており、中世時代にタイムスリップしたような気分にさせてくれます。、
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100名城、巡りをスタートして3年目が終わろうとしています。今年はコロナの影響もあって東京近郊の城攻めが続きましたが、逆に小田原城を皮切りに北条氏所縁の名城を一気に回ることができました。さあ、今年も残すところあと僅かです。最後の城攻めはどこにしましょうか。

「八王子城址」散策

豊臣秀吉のシンボル大阪城を散策した翌日、秀吉の関東制圧によって落城した「八王子城」跡を歩いてきました。八王子城は小田原に本拠を置いた北条氏所縁の城で、三代目の北条氏康の三男、北条氏照が築いた城です。駐車場の側に建つ「ガイダンス施設」は北条氏照について学べる施設となっており、散策前に立ち寄るのがお勧めです。
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散策コースは、標高460mの城山山頂にある「本丸跡」を目指すコースと北条氏照の館があった城山川沿いの「御主殿跡」を目指す2コースに分かれますが、最初に本丸跡を目指すことにします。登山道入り口の鳥居は、北条氏照が築城に当たって守護神とした八王子権現を祀る「八王子神社」の鳥居です。
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山道は狭く、山全体が敵の侵入を防ぐ天然の要害となっていることが分かります。階段の先には「金子曲輪」と呼ばれる最初の要害があります。
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「柵門跡」を過ぎると、山道はさらに狭く険しくなってきます。今は歩き易く整備されていますが、武装しての城攻めは大変だったことでしょう。
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天候に恵まれたこともあり、山道からは都心の高層ビルまで一望することができます。
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天正18年(1590)に秀吉側の上杉軍によって落とされた「小宮曲輪」を経て「八王子神社」に到着しました。、社の奥の階段は本丸跡へと続きます。
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「松木曲輪」からは、ミシュランガイド三ツ星に認定され年間300万人の登山者が訪れる高尾山の山頂を臨むことができます。
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山頂の「本丸曲輪」には石碑と小さな祠が建つのみで思いの外狭く感じます。おそらく大きな建物はなかったと思われます。
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一旦、駐車場近くまでまで下って、今度は北条氏照の館があった「御主殿跡」を目指すことにします。
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城山川まで下ると、道は城の表門に当たる大手門跡を経て御主殿へと続きます。この道は戦国時代に御主殿へ入るために使われていた古道です。
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古道を進むと御主殿に入るために城山川に架けられた「曳橋(ひきばし)」が現れます。今の曳橋は立派ですが、戦国時代の橋は簡単な木造橋で、橋を落として敵の侵入を防いだようです。
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曲輪の石垣や石畳は当時まま利用されており、往時を偲ぶことができます。
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虎口の石垣や石階段も忠実に再現されおり迫力満点です。御主殿の入り口に再建された「冠木門」も雰囲気を盛り上げます。
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北条氏照の館があった御主殿跡はほぼ当時の姿で残されているそうで、建物の礎石や水路の跡が多く出土しています。遠くに見える冠木門からもその広さが分かると思います。
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礎石の一部では建物の床部が再現されています。手前に見えるの石畳が水路跡になります。
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御主殿跡を出て城山川の上流まで下ると花が供えられた石碑が建っています。石碑の奥の城山川を覗くと、細々と流れ落ちる滝が見えます。水量が少ないので分かり難いですが、この滝は「御主殿の滝」と呼ばれる悲劇の滝で、八王子城の落城に際し北条方の武将や婦女子の多くが自害した場所です。城山川の水は三日三晩赤く染まった伝えられているそうです。
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帰りは古道ではなく江戸時代に作られた城山川沿いの林道を歩いてみました。林道は曳橋の下を通るので、石垣の造りがよく分かります。なかなかの迫力です。
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たっぷり散策を楽しんで3時間ほどで駐車場まで戻ってきました。紅葉も進みすっかり秋ですね。次回は埼玉県の寄居まで足を伸ばして、やはり北条氏所縁の「鉢形城」跡を歩いてみたいと思います。
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