日々是「SHINING」

雑多な趣味を整理整頓

2019大江戸桜

3月21日の開花宣言から一週間が経過し、東京の桜の名所からは満開の便りが届き始めました。今回は赤阪の乃木神社をスタートに、都内の花見スポットを一気にハシゴしたいと思います。
乃木神社はその名の通り明治天皇に殉死した乃木希典陸軍大将を祀る神社です。隣接する旧乃木邸は乃木夫妻が晩年まで過ごしたところで、馬小屋などと一緒に公園として公開されています。園内で一番大きなソメイヨシノは早くも満開を迎えています。
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乃木神社一の鳥居横の枝下桜は、赤坂界隈で最初に開花する桜たそうです。
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乃木神社から歩いて数分の六本木東京ミッドタウンには、ソメイヨシノを中心に100を超す桜が植えられています。毛利家の下屋敷があったお隣りの「檜町公園」にも40本を超す桜が植えられており、お洒落なお花見スポットとして人気を集めています。大使館が多い土地柄もあって、飛び交う言葉もインターナショナルです。
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六本木ヒルズ内にある「毛利庭園」は毛利綱元の麻布上屋敷の跡地で、ひょうたん池を巡る回遊式の日本庭園となっています。
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テレビ朝日本社ビル前の桜は、六本木ヒルズの開発を見届けてきました。
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「六本木さくら坂」は、六本木ヒルズの中心を通る「けやき坂通り」に沿って続く約400mの桜のトンネルです。少し気が早いですが、花吹雪が舞う風景が目に浮かびます。
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東京駅まで地下鉄で移動してもう一歩きです。東京駅の周辺にも花見の名所が沢山ありますが、「八重洲さくら通り」は夜ともなるとライトアップされた150本のソメイヨシノの下をほろ酔い気分のサラリーマンが闊歩する庶民的な花見スポットです。
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一方で日銀前の「江戸桜通り」は、日銀、日本橋三越と石造りの建物が続く格式高いエリアなので、さすがに酔っ払いの姿を見かけることはありません。静かに桜の風情を楽しむにはもってこいです。
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翌日のお花見のスタートは、世田谷区の中心に位置する松陰神社です。吉田松陰は安政の大獄で処刑されましたが、その4年後に高杉晋作らの門下生により小塚原の回向院からこの地に改葬されました。松陰神社は、維新後の明治15年(1882)に松陰を祀る神社として創建されました。
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数ある都内の桜の名所のなかで、たった1本で多くの人を集めることができる桜といえば六義園の枝垂れ桜でしょう。開園時からライトアップされる夜間まで、人並みが途絶えることはありません。
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六義園は、徳川5代将軍綱吉の側用人である柳沢吉保が造営した日本庭園で、枝垂れ桜以外にも広大な回遊式築山泉水庭園には見所が沢山あります。特に秋の紅葉シーズンは桜の季節同様の賑わいを見せます。
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さて、今年はやたらとソメイヨシノの寿命を危惧するニュースを耳にしますが、このソメイヨシノという桜の品種は、江戸時代末期に六義園近くの染井村の植木職人が品種改良した品種だそうです。駒込駅北口にある「豊島区立染井吉野桜記念公園」には、この地がソメイヨシノの発祥の地であると記した碑が建っています。
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都立の染井霊園は水戸徳川家の墓所として有名ですが、ここは本場のソメイヨシノを満喫できる絶好のスポットです。歴史ある霊園で静かに愛でる桜は、都会の喧騒を忘れさせる至福の一時を与えてくれます。
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愛媛の旅③(今治)

今回の「愛媛の旅」では100名城に指定されている5つの城を攻略する計画を立てましたが、そのラストを飾るのが慶長7年(1602)に藤堂高虎が築城に着手した「今治城」です。今治城は日本屈指の水城(海平城)と言われており、創建当時は三重の堀に船が海から直接出入りすることができる「舟入」と呼ばれる港まで備えていました。海水を引き込んだ堀に目を向けると、今でも海水魚が優雅に泳いでいます。
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残念ながら明治維新後に堀と建造物の殆どが取り壊され内堀と石垣の一部を残すのみとなりましたが、昭和55年(1980)以降、天守をはじめ櫓や門の多くが再建されています。
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二の丸の表門にあたる「鉄御門(くろがねごもん)」は、平成19年(2007)に史料に基づいて石垣や5棟の櫓とともに再建されています。上の写真でもわかるように、鉄御門に行く手を阻まれた敵は、三方から狙い撃ちされる構造となっています。
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鉄御門を抜けて二の丸に入ると、天守をバックに築城の名手と謳われた藤堂高虎が迎えてくれます。この像も平成19年に建立されました。
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藤堂高虎が慶長9年(1604)に創建したとされる天守は、5重5階の偉容を誇る日本初の独立式層塔型天守であったと伝えられていますが、高虎の伊勢国移封に伴い上野城に移設する目的で解体されたそうです。現在の天守は昭和55年(1980)に本丸北隅櫓跡に再建された鉄筋コンクリート5層6階の復興模擬天守ですが、層塔型ではなく望楼型天守となっています。日本初の層塔型天守を誇った今治城としては少し残念な気もしますが、展望台としては望楼型の方が好都合だったのかもしれませんね。
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天守の横にある神社は、明治の廃藩に伴い今治市内に鎮座していた4社を城内に合祀したもので、今治城の旧名である「吹上城」に因み「吹揚神社」と呼ばれています。天守最上階から見ると社殿の造りがはっきりと分かりますが、創建当時の天守は吹揚神社の位置に建てられていたとする説もあるようです。
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東の方角に目を向けると、瀬戸内海の芸予諸島を橋で結ぶ「しまなみ海道」の雄大な眺めが広がります。天守から望む360度の大パノラマは、一見の価値がありますね。
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二の丸から高麗門を抜けて城の西側に出てきました。二の丸の西隅に建つ櫓は、平成2年(1990)に再建された「山里櫓」です。西側から眺める今治城はバランスが良いのですが、残念ながら午前中の撮影は逆光になってしまいます。
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堀に沿って城の東側まで歩いてきました。こちら側の櫓は昭和60年(1985)に再建された「御金櫓」です。今治城は見る方角によって様々な表情を見せてくれますね。さて、帰りの飛行機までの数時間を利用して、瀬戸内海の芸予諸島を結ぶ「しまなみ海道」の雰囲気を味わいたいと思います。
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中世に活躍した能島村上氏に関する資料を展示する「村上水軍博物館」は、しまなみ海道最長の吊橋である「来島海峡大橋」を渡った大島にあります。水軍、海賊という言葉にはどこか恐ろしいイメージがありますが、潮流が激しいこの海峡を安全に航海するためには彼らの存在が不可欠だったようです。
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船を模った博物館の展望台からは、彼らが活躍した瀬戸内の海を一望することができます。
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和田竜氏の歴史小説「村上海賊の娘」が本屋大賞を受賞した記念に建てられたレリーフには、勇ましい景(きょう)の姿が刻まれています。本の大ヒットで一躍有名になった村上水軍ですが、実際に小説の舞台に立つと感慨もひとしおです。
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最終日のランチは、博物館の前で漁協が直営するレストラン「能島水軍」に入ってみました。獲れたての漁師料理が自慢の店ですが、敢えて天丼を注文してみました。フワサクで美味しかったですよ。
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再び来島海峡大橋を渡って糸島公園の展望台まで上ってきました。ここからは、全長4105mに及ぶ世界初の三連吊橋である来島海峡大橋と眼下に広がるの日本三大急流の来島海峡を一望することが出来ます。
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来島海峡は一日に千艘もの船が行きかう海の要衝だそうですが、潮流はなんと最大10ノット(時速約18.5km)にも及ぶそうです。結構な速さですよね。
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さあ、これで今回の愛媛の旅のスケジュールは全て終わりました。名城あり、名湯あり、名勝ありそして美味ありの充実の3日間に大満足です。お土産はやっぱりフワフワの今治タオルですね(笑)。

愛媛の旅②(宇和島・大洲)

愛媛県には100名城に登録されている城が5つありますが、旅の2日目は南伊予に位置する宇和島城と大洲城を攻めたいと思います。
宇和島市のほぼ中央に位置する宇和島城ですが、築城の名手といわれた藤堂高虎が縄張りした城郭は、高さ73mの城山の地形を巧みに利用した平山城となっています。
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早々、三之丸御殿跡近くに車を停めて東北側の登山口から天守を目指します。草木が鬱蒼と生い茂る山道の石段には、どこか幽玄な雰囲気が漂っています。
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苔むした古井戸は、戦国の世に続くタイムトンネルを思わせますね。
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宇和島城の前身は戦国時代末期に築かれた丸串城だそうですが、文録4年(1595)に藤堂高虎が城主となると、海に面していた当時の地形を利用した近世城郭への改修に着手しました。現在まで残る石垣や天守は、宇和島伊達家の2代藩主である伊達宗利が寛文6(1666)に再建したものです。
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伊達宗利が再建した3重3階の層塔型天守は、現存12天守の一つとして国の重要文化財に指定されています。小振りに見えますが礎石からの高さは16m近くあり、格式を重んじた堂々たる単独天守です。因みに、藤堂高虎が慶長元年(1596)に創建した当時の天守は、望楼型だったようです。
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下りは、城山の南側に当たる搦め手道口を目指します。それにしても見事な石垣ですね。平成6年から着手した宇和島城の平成普請では、痛みのある石垣の修復作業が調査と並行して続けられているそうです。
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城山の南側の搦手道口に建つ「上り立ち門」は武家の正門とされる藥医門形式の門で、創建年代が慶長年間まで遡ることができる貴重な遺構です。
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宇和島城攻めを終え、メイン通商店街の「宇和島きさいロード」まで足を伸ばしてみました。少し早いランチタイムと思ったのですが、残念ながらそこは究極のシャッター通りで、お昼時にもかかわらず開いている店は殆どありません。都会の喧騒に慣れている身としては驚きの光景です。仕方なく、予定を変更して大洲まで戻ることにします。
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宇和島と松山の中間にある大洲の街は大洲城を中心に発展した城下町で、伊予の小京都と呼ばれています。藩政時代の様子を今にとどめる「おはなはん通り」や明治時代の家並みなどが観光保存されています。
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昭和30年代のレトロな品を集めた「思い出倉庫」前の広場には、日曜日になるとこれまた昭和30年代の商店街をテーマにした「ポコペン横丁」が登場します。今回は平日なので人影はありませんが、懐かし街並みのイメージが甦ってきますね。
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「ポコペン横丁」のお隣に建つ「おおず赤煉瓦館」は、明治34年(1901)に大洲商業銀行として建てられた煉瓦建築で、物産コーナーや休憩場を備えた大洲観光の目玉の一つとなっています。本館と別館に分かれており、明治の西洋文化を伝える貴重な洋風建築です。
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遅くなってしまったランチですが、炉端焼の「油屋」で出会ったのが、栗焼酎で甘く焚き上げた豚バラ肉と栗がたっぷり入った「とんくりまぶし」です。豚肉と栗のコラボを味わった後は、ひつまぶしのようにダシをかけていただくご当地グルメですが、これはなかなかの一品です。
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肱川の畔に築かれた大洲城は、鎌倉時代末期にこの地の守護となった宇都宮氏が築いた地蔵ヶ岳城がその前身です。江戸時代に入り、宇和島城を築いた藤堂高虎によって近世城郭としての体裁が整えられました。
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大洲城の天守は明治21年(1888)に取り壊されてしまいましたが、解体を免れた4棟の櫓は国の重要文化財に指定されています。現在の4層4階の層塔型天守は、明治時代の写真や江戸時代の木組み模型などの史料に基づき平成16年(2004)に木造で復元されたものです。その様子がテレビでも取り上げられていましたが、木造での復元は苦労の連続だったようです。
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天守の復元には全て国産の木材が使用されており、天守内部に入ると城郭建築特有の迫力ある木組みを随所に見ることができます。
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肱川の深い渕にある「臥龍山荘」は、肱川の自然を借景として取り入れた庭園と「臥龍院」を中心とした建物が見所の山荘庭園です。「臥龍院」は大洲市出身の豪商河内虎次郎が10年の構想と4年の工期を費やして完成した名建築で、ミシュランガイドに一つ星として紹介されるとともに、国の重要文化財にも指定されています。
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臥龍淵の崖の上に建つ「不老庵」は優雅さと迫力を兼ね備えた建物で、こちらも国の重要文化財に指定されています。ここから望む肱川の眺めはまさに絶景。時が経つのも忘れるほどです。
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さて、これで2日目の日程は終了です。道後温泉に戻って今日は別館「飛鳥之湯泉」で汗を流すことにします。
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愛媛の旅①(松山)

2泊3日の日程で愛媛県を旅してきました。今回は定年退職の記念旅行なのでゆっくりするつもりでしたが、愛媛と言えば名城の宝庫、いつしか城巡りでスケジュールはびっしりです(笑)。
旅の初日、飛行機の窓から富士山の山肌にぽっかりと開いた宝永火口を確認することができました。これはラッキー!なにやら良い旅になりそうな予感がします。
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松山城に到着したのは午前10時。二之丸史跡庭園近くの無料駐車場にレンタカーを停め、早速につづら折りの山道を登ります。
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松山城は、標高132mの勝山の山頂に連立式天守を配した平山城です。関ケ原の戦いの戦功により入国した加藤嘉明が、慶長7年(1602)に築城に着手し、一応の完成をみたのは寛永4年(1627)とされています。山麓から本丸にかけて行く手を阻むように築かれている石垣は、「のぼり石垣」と呼ばれています。
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本丸正面の守りを固める「筒井門」は城内最大の門ですが、殺到した敵を背後から打つため、死角となる場所に隠門が設けられています。
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本丸跡から仰ぎ見る大天守は3重3階地下一階の構造で、二重櫓とも呼ばれる小天守と渡櫓で結ばれた連立式天守となっています。創建当時の天守閣は五層だったそうですが、寛永19年(1642)に三重に改装されました。その後大天守は落雷で焼失しますが、ペリー来航の翌年の安政元年(1954)に新たな天守が落成し、現在に至っています。
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一ノ門の手前から見上げる大天守です。攻め手の戦意を奪うのに十分な偉容ですね。
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一ノ門にたどり着きましたが、ここは四方を櫓に取り囲まれており、無数の狭間から一斉に狙われることになります。とても無事に通過できるとは思えません。
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ようやく大天守の最上階に到着しました。本丸跡の先に広がる松山市内の眺めにホッと一息です。それにしても、山麓から続く高い石垣、行くてを阻む数々の門と櫓、狭間や石落しを巧みに配した連立式天守と松山城の防御は鉄壁ですね。松山城が難攻不落の城であるとあらためて実感することができました。
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城攻め後のランチは、宇和島の郷土料理「鯛めし」と「さつま汁」をチョイスしました。宇和島の鯛めしは鯛の刺身を生卵とダシ汁に絡めてご飯にかけて食べるので、贅沢な卵かけご飯といったところでしょうか。さつま汁は、焼きほぐした白身魚と麦味噌をすり鉢でだし汁と混ぜ合わせ薬味を添えたものです。感覚的には宮崎の冷や汁に似た味です。
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道後温泉に向かう前に、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にまつわる観光スポットに立ち寄りたいと思います。一つ目は城下にある秋山好古、真之兄弟の生家跡です。生家が原型に近い形で復元されていますが、ボランティアの方の説明では、実際の生家はもっと質素だったようです。敷地内には兄好古の乗馬像と真之の胸像が飾られています。
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二つ目は平成19年にオープンした「坂の上の雲ミュージアム」で、正岡子規と秋山兄弟に関する展示を中心に、近代国家形成期の様々な品が展示されています。設計は有名な安藤忠雄氏だそうで、小説に因んでなだらかな坂道を歩きながら展示室を巡る設計になっています。坂道と三角形の展示室の組み合わせは独特の空間を醸し出していますが、個人的には素直な展示室の方が落ち着いて見学できるように思えます。
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松山城から道後温泉へは車で10分程。道後温泉駅では汽笛を鳴らしながら走る「坊ちゃん列車」にも遭遇しました。
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「道後公園」は、伊予の国の守護であった河野氏の居城「湯築城」の跡です。中世の城である湯築城には近世の城郭のような石垣や天守は有りませんが、16世紀になって周囲に二重の外堀と土塁が築かれました。伊予の歴史と伝統を伝える湯築城は、松山城と伴に100名城に選定されています。
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135段の石段の先に建つ「伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)」は、河野氏が湯築城の鎮守としてこの地に移したと伝えられる神社です。湯月八幡、道後八幡の別名の通り、主祭神は八幡大神こと応神天皇とその母である神功皇后です。
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現在の社殿は松山藩三代藩主である松平定長が建立したもので、大分の宇佐八幡、京都の岩清水八幡と並ぶ代表的な八幡造りと言われています。思っていた以上に立派な社殿に感動しましたが、御朱印がスタンプだったのはちょっと残念でした。
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さて、街のシンボルである道後温泉本館はこの1月から7年間の耐震・保存のための改修工事に入っています。そのため、建物はシートに覆われているとばかり思い込んでいましたが、嬉しいことに外観の見学には全くが支障ありません。
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本館の裏側、又新殿(ゆうしんでん)にある三層屋根の入口は、皇室専用の入口です。建物内部の見学はできませんでしたが、独特の屋根も無事に見学することが出来ました。
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工事期間中は5つある浴室を使い分けながら営業を続けるということで、前期の工事期間は霊の湯棟、又新殿と2、3階の休憩室の改修工事が行われますが、神の湯棟にある2つの浴室には入浴することができます。正面玄関が使えないため、明治の改築当日に使っていた北玄関が入口として復活しており、神の湯の入浴は期間限定の貴重な体験になりました。これからホテルの露天風呂を楽しんで、明日は別館「飛鳥之湯泉」で温まりたいと思います。
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真冬のイナワラ釣り

久しぶに「釣りロマン」の更新です。実は年末にかけて二度ほど海には出ていたのですが、釣果の方がさっぱりでした。真鯛、甘鯛と数狙いの釣行ではありませんでしたが、その後の焼き肉は辛いものがあります(笑)。
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今回のターゲットは、連日好調のイナダ。60cm越えのイナワラサイズも混じるとあって、ストレス解消と行きたいところです。出船時間の午前6時半の気温は1℃でしたが風があるので体感的には氷点下です。おまけに波も高くコンディションは良くありません。何だか嫌な予感がします。
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20分ほど西に走ってようやくポイントに到着しましたが、予想以上のうねりで船酔いが続出。こりゃヤバイ!悪夢の再来か・・・? 反応は出ているようですがアタリ全くありません。
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カラ針2本、3.5mの5号ハリスに付けエサはオキアミ。コマセにオキアミを混ぜてアタリを待ちますがエサ取りも見向きもしません。我慢の時間が続くなか、最初のアタリがあったのは10時過ぎ、付けエサをイカの短冊に替えた直後でした。強烈な引きに竿が大きく引き込まれます。待ってたぞ、この感覚!
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結局、最後まで食い渋りが続き、こまめにコマセを撒き続けたにもかかわらず釣果は4本に終わりましたが、2本はイナワラサイズでお土産には十分です。
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久しぶりのしゃぶしゃぶでしたが、脂がのったトロイナダなので味の方は申し分ありません。
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釣りを始めた頃は、イナダと言えば晩秋から冬にかけての魚で12月になると姿が見えなくなったものです。それにしても黒潮の大蛇行の影響なのでしょうか、2月にイナダが釣れ続けるとは驚きです。美味しいトロイナダを食べれるのは幸せですが、少し心配になります。
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